本当はもっと早く、GWの後半の事などを書こうと思っていたのだけど、5月は第3週から激多忙でとてもblogを書く余裕もなく月を跨いでしまった。
ほんとうに色々あった月だったけど、これも数年経てば思い出になるのだろう。備忘録的に書いておく事にする。
SRの主治医も激多忙らしく、なかなか車検整備が出来ない状況だそうなので、出来る事は自分でやっておこうと手を掛けたのがGW後半の事。SRの整備は基本主治医に任せっきりで自分で触ることはほとんどないんだけど、まあプロの整備の邪魔にならない程度の事をやった感じ。
まずはエアクリーナーとブローバイフィルターの清掃。僕のSRは両方ともK&Nのものが付いているので、専用のクリーナーで清掃した後乾いたフィルターにこれまた専用のオイルを塗布するという作業なんだけど、それほど難しくないのでね。
フィルターにクリーナーを吹きかけしばらく置いてから流水で汚れを(フィルターの内側から)洗い流し、乾燥させる。天気がいい日だったのでステンレスのバットの上に置いて乾かす。
その後オイルを付け過ぎ注意で塗布すれば完成。時間はかかるが簡単に出来ます。
バッテリーは実は2年前くらいから死にかけていて、数日置くとキーオンでニュートラルランプが点かない状態だった。エンジンを掛けてしまえばウィンカーが異常点滅する事もなく普通に走れたので放っておいたんだけど、これも交換しちゃう事に。
普通にシートを外してカプラーを差し替えるだけなのでこれも簡単ですね。
ボロボロだったグリップラバーを新品に。ちょっと前に話題になったVANS×CULTのグリップを買っておいていたのだ。VANSのスニーカーのソールと同じパターンで造られていて結構評判がよかったんだよね。
暖かい日だったのでこの交換作業もサクサクと終わった。中心部分が少し膨らんでいて握りやすいな、素材もソールと同じものなのだろうか、グリップ感もいい。これはいいもの買ったかも。
後は冬の間に積もった汚れを拭きあげていく。フクピカで汚れをざっと落としてからホワイトダイヤモンドでステンレスとアルミのパーツを磨いていく。
各部を磨いた後はバリアスコートでコーティングしておく。マフラーには耐熱ワックスね。
あと何したっけなあ、チェーンに注油して、どうせリアブレーキはバラすだろうからチェーンの張り調整はせず。引き取りがいつになるか分からない状況だったからタイヤにもエアは敢えて入れなかった。
主治医も何とか段取りをつけてくれて、月の半ばに引き取りに来てくれた。やった事やらなかった事を伝えて、後はプロにお任せです。
この作業の後日、Pパイセンの不具合を治すべくリアブレーキのドラムを外してパーツを発注したところでGWが終わったんだった。
このふたつの作業でひとつの記事を書こうと思っていたんだけど、宇賀神紹介改めリビエラクラシックさんから届いたパーツは未だに組めていない。
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仕事の上役と連絡が取れなくなったのはGW明けの日曜日だった。午前中に来るはずの翌日の配車の連絡が来ず、まあ今までもこういう事は何度かあったので、どうせまた酔っ払って寝ているんだろう、月曜の朝に電話して起こそうぜ、と仲間たちと連絡を取り合って日曜日は寝た。
ところが月曜の朝になっても上役は電話に出ない。これは今までになかった事だけど、何よりも仕事を回さなければならない。僕たちの仕事は絶対に穴をあけることが出来ない仕事なのだ。
僕が代わりに仲間たちに配車をして、何とか時間ギリギリでその日の仕事の算段をつけて僕も往路を走る。
ドクターを降ろしてすぐに上役に電話をするがやはり出ない。これは流石におかしいという事で警察に連絡を入れ、その旨を仲間と組合に報告する。
10時過ぎだったか、警察から連絡があり、家の中に入ったところ上役が部屋で倒れていた事、自発呼吸はあるが意識がなく病院に救急搬送された事を知らされる。
もっと早く動けなかったのかと何度も悔やんだが、警察への連絡は可能な限り最速のタイミングだったと思う。
過去にも何度か日曜日に連絡が取れない事があった。初めの頃は心配して暗くなってから家に行ってみたりしたのだけど、呼び鈴を鳴らしても反応はなく、かと言って窓を破って家に入る事もためらわれ、結局翌朝に電話したら酔っ払って寝ていたという事が数回あったのだ。今回も朝に近くに住んでいる仲間が家まで行ってくれたんだけどやはり家の中には入れなかった。
その日から何の引き継ぎもなく、僕が上役の代わりを務める事になった。
翌日にどんな予約があるか分からない、でも仕事に穴を開けるわけにはいかない。多い日には10本以上の便があるのだ。もの凄いプレッシャーと緊張でその週はほとんど眠れなかったが、各方面に本当に良くして頂いて(特にドクター達)奇跡的に仕事を飛ばす事はなかった。
上役は、その後一週間も経たないうちに意識が戻らないまま故人になった。
去年から患っていたがんが年明けに寛解したばかりだったから、本人が一番無念だったろうと思う。
すぐ側で病と闘っている姿をずっと見ていたから、僕も悔しかった。
5月3日にふたりでツーリングに行ったのが顔を合わせた最後になった。僕よりここのつ年上だったけど、バイクに乗るのがとても上手い人だった。僕なんかより全然速く走ってね、だからふたりで走るのは楽だったよ、どんな運転をしても必ず着いてくるから。いちいちバックミラーで確認する必要がなかった。
そんな安心感は仕事をしててもずっと感じてたんだなあって、いなくなってしまってから気付いたよ。
一週間前、組合の総会と懇親会があった。僕は昼過ぎまで仕事で総会には出られなかったんだけど、懇親会には出るつもりだった。
とある仲間が進言してくれた。曰く「ヨコチンさん、亡くなった人の事である事ない事めちゃくちゃに言われているよ、絶対に行かない方がいい」。なるほど、そう来たか。上等だよ。
さっぱり睡眠が足りていない頭で会場に着く。どっかりと椅子に座り、隣には故人の席を勝手に作ってグラスにビールを注いだ。何人かの仲間が「お疲れさま」「大変だな」と小声で囁いていくが、肝心のめちゃくちゃは、当たり前だけど面と向かって言ってくる奴はひとりもいなかった。
何を言われていたかって?僕が一番知りたいんだけど、結局知れずじまいだった。でもここに書く必要のなかった警察への連絡の時系列は、このblogを読んでいるらしい同業者達に向けて書いた。だいぶ胸糞が悪くなるが、多分、そういう事なんだと思う。
事実は事実としてきちんと表明しておかなければ故人も浮かばれないしね。
2次会の誘いを断ってひとりでいつものバーに行く。カウンターに座るなり「毛穴が開くくらいキツいの飲ませてください」って告げた僕はやはり少しおかしかったんだと思う。
でも落ち着ける場所で旨いウイスキーを飲んでいるうちにチルアウトしてきた。酔い覚ましにウイスキー飲むってなかなか頭おかしいですよねって言ったら笑ってもらえて少し救われた。
この3週間、本当に色々な事があった。でも酷い事ばかりじゃなく、たくさんの善意にも触れた。あれ、人ってこんなに優しかったっけ?って何度も思った。色々あるけど、生きるって悪くないよ。
地面に落ちたクソに意識をとらわれれるより、青空にフォーカスを合わせた方が幸せになれるよ。5月の澄んだ空に向かって、ねえ、何の引き継ぎもなく突然逝っちゃうとか酷くないっすか、私、めっちゃ大変だったんですよ、って話しかけたら、故人の、あの人懐っこいお愛想笑いが見えた気がした。
やる事やったら私もそっちに行きますんで。それまで待っててくださいね。今まで、本当に、本当にありがとうございました。
SRは5月末に無事車検を取得したと主治医から連絡があったので、昨日引き取りに行ってきた。
久しぶりに乗るSRは、とにかく軽い。重たいハーレーとの2台持ちは意外といい選択なのかも知れないね。
カレンダーを眺めていたら、今年は盆休みが長いんだね、自分で仕事のスケジュールを組める身分になった事だし、北海道にでもロングに出るかな。1週間くらいかけてさ、のんびりと。いいよね。
北海道の道路地図、買わなきゃだね。
1983年のニューヨークBottom Lineでのルー・リードのライブ映像。ルーの隣でギターを弾いているのはロバート・クワイン。
なかなか理解してもらえないかも知れないけど、僕はロバートのギターで人生が変わった。変わったというのは正確じゃないかも知れないな、腹が据わった、あるいは諦めがついたと言ってもいいかも知れない。
どうせ今と違う人生なんて歩めはしないのだ。たとえ生まれ変わったとしてもね。だとしたらそんな生き方を精一杯全うするのが、自分に対して一番誠実なやり方なんだと思う。そんなことを僕に教えてくれたのは彼のギターだ。
ルーもロバートも故人だ。彼らからは色んなものを手渡されたと思う。もちろん先日他界した上役からもね。
しっかり受け取りましたよ。そしてそれを次の世代に受け渡したいと思う。それが僕が今生きている一番の意味だ。
お疲れ様でした
shivatskさん、おはようございます。
ありがとうございます。当方、何とか生きております。笑