
師走、ってよく言ったもので、12月は仕事もプライベートも滅茶苦茶忙しかった。それこそ忙しさゆえだからなのか体調を崩した方の代打で出張に出る新規のお客様が複数名出てくれば、現場監督としては営業方々ご挨拶をしなければならないし、一旦組んだスケジュールをリスケしなければならない。足りなくなった送迎用の車両の手配もしなければならないし、それがままならない日には1日に2本の仕事をこなした日もあった(そんな命懸けの仕事を仲間に振る事は出来ないのでね)。
12月は青森で大きな地震もあった。寝入りばなにけたたましい緊急地震速報で叩き起こされ、スマホで状況を確認すれば沿岸地方には津波警報が出されている。その日沿岸には4台の車両が行く予定で、すぐに担当者に安全最優先で行動するように注意を促し、テレビをつけて津波の状況を確認する。
どうやらそれほど危険な状況ではないと分かった時点でベッドに戻ったんだけど3時間ほどしか眠れず、キッツイな、と思いながら自分の仕事に出かける準備をしていたら電話が数本。地震で新幹線が止まったんだよね、タクシーの手配何とかならないか、というお得意様からの急な依頼で、仲間の機転にも助けられながらそれを何とか時間ギリギリで捌いた後は外勤先の病院の事務方との料金交渉の電話、その間にも別件で配車依頼の電話がかかってくる。その日は昼寝も出来なかった。
忘年会はそれでも少ない方だったけど、普段大変お世話になっている友達とはやっぱり飲みたいし、行きつけの店には年末の挨拶はしたいよね。人間としての最低限の礼儀だ。普段たくさん楽しませてもらっているのだから。今年は雪の降り始めが遅かったのが救いだったな、無理をしてスノボに行かずに済んだ。
そんな訳で26日に一旦仕事を納めた後、27日28日は昼まで寝ていた。相当疲れていたんだと思う。とてもblogどころではなかったな、時間もなかったしそんなテンションじゃなかった。2日休んでようやくパソコンに向かう元気が出ました。

10月末にバイクを買ったんですよ。ホンダのCB72。1964年式のバリバリの旧車にして生粋の名車ですね。いわゆる「本物」って奴です。現代車にそれっぽくセパハン付けたりしてなんちゃって〜風にしているのとは訳が違う、当時のSS、60年前のスーパースポーツです。
僕がバイクの免許を取った40年前には既に旧車のカテゴリに入れられていたバイクだからね、しかし当時は高価でとても手に入れられるような車両じゃなかった。
ガチのマニアが珍重するようなバイクで、まあ僕も当時はそんなに興味もなかったし接点もなかったんだけど、最近めっきり相場が安くなっていた。
多分、収集していたお爺さん世代がそろそろ引退する年齢なんだよね、秘蔵していたコレクションが市場に出てきたんだと思う。そうすれば需給の法則で相場は下がるよね、バイクキチガイの友達と、最近あの手安くなったよね、ってLINEでやり取りしていたの。
そしたらそのキチガイ仲間がある日CL72を買った。朝に「やっちまったーーー」ってLINEが来て朝から大笑い。
そのタイミングで、オークションサイトのウォッチリストに入れていたこのバイクが大幅に値下げ再出品されていて。えええ?みたいな。その旨を友達にLINEしたらたった一言「運命だなーー」って返信が返ってきて。
ええ、僕もポチっちゃいましたよ。全くいい歳したおっさん達が何やってんだろうね、スーパーで大根買うのと違うんだっつーの。

そんなこんなで落札したのが10月末、11月半ばには手元に届いていたんだけど前述のとおり忙し過ぎて記事には出来ず、でも雪が降る前に1日だけ乗る事ができた。葉っぱがほぼ落ちているプラタナスの樹の下でこのblogのために写真を撮ってきた。

ぱっと見程度良さそうに見えると思うけど、実際にいい。どうもとある旧車専門店でリペイント&リビルドした車両らしく、各部はちゃんとしている実働車だ。フルレストア車かと言われると微妙だけど、各部はしっかりと手が入っているみたい。

エンジンは180度クランクのタイプ1。元々は360度クランクのタイプ2エンジンを、180度クランクとCB77(305cc)のシリンダーを使って、更にボーリングして350cc程度になっているという前オーナーの話です。要は腰下までリビルドしてあるって事だね。
組んだメカニックが腕の立つ人だったら超お買い得車両、そうじゃなかったら、って事は想像しないことにしている。
ちなみにCB72って書いたけど、この車両は元々CBM72と呼ばれる、360度クランクのタイプ2エンジンにアップハンが付いたツーリングモデルをCB72風にモディファイしてある車両で、正確にはCBM72改という事になる。もしかしたらそれ故マニアやコレクターに敬遠されて安い値段で入手出来たのかも知れないね。僕はマニアでもコレクターでもないのでそんな事は1ミリも気にしないから却って都合良かったけど。走って磨いて楽しければそれでいいのだ。

ブレーキはツーリーディングのドラム。当時ディスクブレーキはなかったんじゃないかなあ?いずれにしろドラムブレーキが全盛の頃で、英国車なんかには左右2パネル4リーディングなんてエグいブレーキがあった時代。
ちょっと初期制動のタッチが良くないので春が来たら組み直す予定。

びっくりしたのがリアブレーキも2リーディングなの。リアブレーキがドラムのバイクなんてたくさんあるけど、これは初めて見た。
想像だけど、当時は舗装が少なく、荒れた路面が多かったんじゃないのかな、だからリアブレーキもよく効いてコントローラブルなのが重宝されたんじゃないだろうか。わかんないけどね。
あ、当然のようにフロントブレーキにはストップランプスイッチが付いていません。旧いカブやベスパで慣れているので別に苦にもなりませんが。
20代の頃、転職の合間に長旅に出た。その時にアサマ火山レース会場の跡地を見てきた。スマホやGoogleマップがなかった頃にどうやって辿り着けたのか記憶も定かじゃないけど、30年以上前には当時のコースがそのまま残っていて、特徴的な火山灰を敷き詰めたコースを歩いて見る事が出来た。
大昔、半ヘルにゴーグル、黒の皮ツナギで身を固めた男達が眼を吊り上げてタイムを競い合っていた伝説の場所だ。まるでタイムスリップしたような、時の流れが止まったような感慨を覚えたのを今でもはっきりと覚えている。
CB72はその頃に現役で走っていたバイクだ。各部を眺めているだけで当時のホンダの本気がビシビシと伝わってくる。

ウィンカーは当然、いわゆる72ウィンカー。「タイプ」じゃないからね、本物です。いちいちオーラが凄い。いい買い物したなあ。

リアショックの手前にある取手みたいなのは、センタースタンドを上げる時に掴む為のもの。このバイクにはサイドスタンドが付いていないから実用的な装備。

メーターは初期型のいわゆるケンカメーターじゃないけど、オドメーターが縦型なのが雰囲気。レッドゾーンは8500rpmから、しっかり組むと190kmくらい出るエンジンらしい。眉唾だったけど、この後その実力の片鱗を感じる事に。
ヘッドライトカウル左側に付いているスイッチがライトスイッチ、左側の赤いランプは何だか分からない。笑
帰り道、運転にも慣れてきたので片側2車線の広い道路で3速で全開にしてみた。
何これ、滅茶苦茶速い!!
パワーバンドは6000rpmからで、そこからカムに乗って、ビィーーーーーンという音と共にレッドゾーンの8500rpmまで一気に吹ける。それこそカミナリみたいに現代の道路をかっ飛んでいく。これは気持ちいい。名車として珍重されているのはこの走りがあってこそなんだろうな。
あのバイクは、なんて話はしたくないが、その辺のバイクとはちょっとレベルが違うね、本気の度合いが違う。これだよ、これを感じたかったんだよ。当時の第二次産業のメカニック達が命懸けで取り組んだクラフトマンシップ。それを追体験するという事。趣味としては贅沢なものなのかも知れないけど、僕の中ではこれは間違いなく未来に繋がる素晴らしい経験だ。

…が、その後家の近くまで戻ってきたところで右折車線に入り、右にウィンカーを出した瞬間にエンジンストール。慌てて押して歩道に入り、何度もキックするが全然かかる気配がない。工具も持っていなかったのでプラグすら外せなかったけど多分点火系だな、初爆のしょの字もない感じだし。

仕方ないので家まで3kmくらいの距離を押して帰った。車格的には現代車の125ccクラスの大きさだがプラスチックのパーツがほとんど使われてない故か車体はなかなか重い。なんせサイドカバーも鉄で出来ているのだ。ははは、面白くなってきましたねーー。
大した距離じゃないし初めは余裕かなって思っていたけど、川沿いの道は微妙に上り坂で段々息が上がってきた。ようやく家に着いた時には汗だくだった。身体鍛えてて良かったわ。

一息ついてから友達にLINEで状況を伝えると、まずは大笑いされて、多分バッテリーだよ、とアドバイスを受ける。ホンダの旧車はバッテリーが弱っているとエンジンかからなくなるのが多いんだそうだ。なるほど。バッテリーにテスターを当ててみると確かに端子間で10Vくらいしか出ていない。
今や珍しい解放式のバッテリーを丸一日かけてじっくり充電して車体に積んでキックしてみたらやはり何事もなかったようにエンジンはかかった。
ガソリンの劣化を防ぐ添加剤を入れてキャブまで回し、続きは来春楽しむ事に。

バッテリーを外す際に各部を観察すると、純正は旧式のセレン整流器が付いている場所に現代的なIC式の整流器が丁寧な仕事で付けられていた。写真真ん中にある二つの丸い筒はコンデンサかな、これも新品になっている様。タイプ1エンジンはヘッド横にポイントが二つ付いているからコンデンサも二つ要るんだな。
ちなみに後々のメンテナンスは、市内に当時からやっているバイク屋があってそこの老メカニックが凄腕らしく全く問題ないそう。CL72を買った友達が、懇意にしているから全然心配いらないよ、と言ってくれた。

この頃のホンダのバイクには、社名と車名の間に「ドリーム」という冠が付く。このバイクの場合、正式な名前は「ホンダドリームCBM72」となる。
このバイクを手にするまで意識した事がなかったんだけど、よく考えてみれば凄いネーミングだよね、ドリームって「夢」だからね。
太平洋戦争にボロボロに敗けて、国土は大半が空襲によって焼け野原になり、300万人以上の軍人、民間人が死んだ。敗戦後、国を立て直すのはゼロどころかマイナスからのスタートだった。
朝鮮戦争やベトナム戦争での特需もあったが(これは頭の片隅に入れておいて謙虚になった方がいい、戦後の復興にはふたつの戦争による特需がかなりの足掛かりになったのだ。汚れた金でだよ)、日本人は生来の生真面目さと器用さでグングンと復興を果たしていく。
’60年代のホンダは特に凄かった。まずはバイクで世界に挑んでいく。歴史のある英国製のオートバイを、時計のように精密なメカニズムで造られた独創的なレーサーで負かした後は4輪、F1にも挑んだ。
多分、本田宗一郎さんを先頭にした当時のホンダの技術者達は、本当に夢を見ていたんだと思う。そしてそれを自分たちが作ったオートバイの車名の前に冠した。
翻って今のこの国の現状を眺めてみる。高度経済成長から続くバブル景気とその崩壊を経て、すっかり貧しい国になってしまった。経済的にも、国民の心持ち的にも。
宗一郎さん達が見た夢は叶ったのだろうか。あくまで他人の夢だからそれは僕には判断出来ない。けれど、人間は夢を見ている間はとてつもない能力を発揮するんだなという事は、前述したホンダというメーカーの来歴や先日手元にやってきた旧いオートバイを見れば良く分かる。周りはともかく、せめて自分だけでも幾つになっても夢を見て過ごそうと思った。
一台のオートバイを巡って、色んな事を考えた。僕はきっと夢の欠片を買ったのだ。いい買い物をしたなあ。
ちなみにもう一台、どうしても乗りたいバイクがあるんです(悪友の影響)。なので流石に来春に在庫車両の整理をします。薄いもの、あまり乗らないものを手放す予定です。