夏の終わり

更新サボってました。
観念的な事じゃなく、出来るだけ体験した事を書きたいと思っているんだけど、あまり行動的じゃなかったんだよね。お盆休みも3日しか無かったし、その休みも天気に恵まれずなーんにも出来なかった。ちょっとバイクに乗ればご覧の通り雨に当たる。
だから、書かなかったというかあまり書く事がなかったんです。せっかくの夏なのにね。半ば無理やりキーボードを叩いています。




これは8月7日の事。おしりがほぼ治ったのを記念して久慈方面に走りに行ってきた時の画像。




空は雲ひとつない快晴。で、かなり暑い。僕はくそ暑い日にTシャツ一枚でバイクに乗るのが大層好きで、でもそんな格好で年中乗れる訳はもちろんなく。今年はこの日で最後かな、盆が明けた北東北はもうほんのりと秋の気配がする。




34度!でも湿度が無く気持ちのいい暑さだった。最&高。




お昼は葛巻町にある「森のそば屋」さんにて。一度来てみたかったんだ。
長い盆休みだった人はもう休みに入っていたようで、観光や帰省らしき人で予想外に店は混んでいた。こんな人気店だったとは知らなかった。




何故か蕎麦に白米が付く。で、恐らく手作りの厚手の大根の漬物が旨い。田舎の味だね。
時勢柄、お店は感染対策に大変そうだったけど、美味しく頂いてきました。また食べに行こう。




いくら暑いのが好きな僕でもずうっと日差しに当たりっぱなしは流石にしんどくて、久慈を過ぎて海岸線を南下し始めたところで(ライダーが)オーバーヒート気味で長めの休憩。600mlのペットボトルの緑茶はほぼ一息で身体に入った。ここが距離的には折り返し地点かと思うと、うわー長いな、って思う。でも辛くても走り続けなければ家には戻れない。
正直この暑さでこの距離は楽しいばかりではない。でもこのくらいの距離と時間を走って初めてバイクのある種の本質に触れられるのかな、とも思う。走りながら「何故そんな事をする?」という命題と向き合えるから。

この日の走行距離は下道オンリーで330km。このくらいは顔色ひとつ変えずに走れる気力と体力はキープしたいところだ。




スケボーの練習も再開。おしり問題で活動休止中にボロボロだったデッキを新調したんだよね。新調したデッキのおかげなのか、ひと月以上乗っていなかったにも関わらずスムーズに乗れた。というかチックタックに関してはむしろ以前より調子良く出来る。少しの間冷却期間というか、距離を置いたのが良かったのだろうか(恋愛かよ)。




新しいデッキは最近の流行りらしいちょっと太めの8inch。無地のブランクデッキだから値段も安かった。キックやコンケーブは古いデッキよりもしっかりと付いている。




重ねて横から見たところ。ほんの少しだけどキックが長いでしょ?素人にはこの少しの違いが滑りやすさにつながる(多分)。




上から。重ねてみると大きさはこのくらい違う。
ひとつひとつのパーツは数千円で買えて、それでこれだけ遊べるんだからやっぱりいい趣味だと思う。最近はロンスケにはあまり乗らず、このストリート用のボードでコツコツ練習するのが楽しい。まだまだ全然乗れないけど、ほんの少しづつでも上達するのが楽しいんだと思う。




で、更に攻めた練習をするためにリストガードを導入することに。一番怪我する可能性があって、それを避けたいのが手首だから。
通販でも良かったんだけど、信頼出来るものが欲しかったので市内の専門店を尋ねる。




で、見立ててもらったのがこれ。




指の付け根から手首まで丈夫なABS製?の湾曲したプレートが入っていて手をガードする。何度か転んで手を地面に着いたけど、手には擦り傷ひとつ付かなかったな。これはいいものを買った。




先週末は、GW頃に八幡平の麓のログハウスに引っ越した友達のヒッピー氏を尋ねた。相変わらず親子3人で仲睦まじく暮らしていて、格安で借りているという家はめちゃくちゃ素敵だった。
八幡平リゾートスキー場からクルマで5分という立地も雪山で遊ぶ人間にとっては最高だけど、ヒッピー氏は最近はスノーボードには乗らず雪板やスノースケートばかり。で、八幡平リゾートは雪板やスノスケは滑る事が出来ない。岩手のスノー界に顔が利くヒッピー氏は、管理人にスノスケで滑れるように働きかけてみるつもりだ、と言っていた。あのフラットで幅が広いバーンをスノスケで滑れたら楽しいだろうなあ。

ヒッピー氏と細君の間には12歳になるソラちゃんという娘さんがいるんだけど、このコが素晴らしいんだ。ふたりの溢れる愛情を全身に受けて育った彼女は本当に自由で、育つ環境次第で、この国でも同調圧力的なものからこんなにも解き放たれる事が出来るんだなあってソラちゃんを見るたびに勇気をもらう。

ほんとうの意味での本来、それが普通なんだと思うんだけど。僕はほとんど外国に行った事がないけど、世界標準で見たらこの国のそっち方面の息苦しさは異常なんじゃないかな。戦後の歴史を振り返れば、もしかしたらそういう国民性が敗戦からの復興にいい方向に寄与した部分もあるのかも知れないけど、それはもうニートじゃないよね。時代遅れだ。
はっきり言うと政治、行政、経済、外交などの分野に於いてこの国は落ち目なこと甚だしいと思うけど、僕はその根本の原因は教育の失敗だと思っているのね。子供も大人も老人も「空気」という得体の知れないものに左右され過ぎだよ。

もっと自分自身が熱中出来るものに夢中になればそれも変わるのかなって思うけど、それだって僕から見たら不自由な人が多過ぎる。時に絶望を感じるくらいに。
「自分」がないから、人の目を気にせずに好きな事に向き合う事すら出来ない。大人がそうなんだから次世代にそれを伝える事も出来ないよね。そうやって息苦しさという名の不幸は拡大再生産されていく。



幸いな事に周りはその辺自由な人ばかりなので、こんな僕でもかろうじて呼吸は出来ているけど。というかそういう関係性しか残らなかったな。親族含め不自由な人とは自然と距離が出来ていった。




そんな自由な家族と、安比の花火大会を眺めながら迎えた夏の終わりは悪いものじゃなかった。
自由でいるのも楽じゃない。けど、精一杯自由でいたいなって思う。残りの人生の全てをかけてね。






チャーリー・ワッツ、逝去。
言葉じゃない、音階でもない、ただの音の振動で数十万人、数百万人の腰を数十年に渡ってスウィングさせ続けた偉大なる功績に最大限の敬意と謝意を捧げたいと思う。ありがとう。






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