留学生のホストファミリーになった話

 

時の経つのは早くって、本当にあっという間に季節も移ろいでいく。
さっぱり夏らしくなかった今年の夏は引き際もあっさりとしていて、残暑の「ざ」の字も感じさせないまま日々触れる空気はすっかり秋の気配だ。
今日もSRでカントリーライドしてきたんだけど、山の中はもう風が冷たくってね、サーマルロンTeeに半袖重ね着の上にダブルのライダースという恰好では肌寒いくらいだった。一服の時に飲む缶コーヒーはもうホット一確。
こりゃぼやぼやしてるとあっという間に爺さんだね。

 

8月の末から9月頭にかけての8日間、息子が通っている高校で交換留学の行事があり、我が家でも留学生を受け入れる事にした。いわゆるホストファミリー。
我が家は妻がこういう行事ごとに熱心でね、まあ僕も嫌いじゃないし面白そうだったから快諾。半年くらい前から色々と準備を進めていた。

ステイする留学生には朝昼晩と食事を用意しなければならないし、丸一日自由行動の日は観光にも連れていかなければならない。渡すお土産は何がいいかなあ?等々考えなければならない事は結構多かったが、時間はあったのでネットや過去にホストファミリーになった事がある知人などから情報を収集。楽しみながらあれこれ考えた。

我が家は共働きなので実家の僕のお袋にヘルプを依頼するとこれまた快諾してくれ、期間中はずっと家に居てくれる事になった。ノリのいい家族で良かった。

 

受け入れたのは上海在住の17歳の男の子。なんでも中国で2番目に学力レベルが高い大学の付属高校に通っているそうで、事前に送られてきたプロフィールが書かれたペーパーの顔写真は何とも利発そうな少年だった。
近年の経済発展もあるし、元々上海は共産主義国の中国の中でも異例とも言えるほど歴史的に経済活動が盛んな都市である。きっと裕福な家庭のご子息なんだろうね〜などと話しながら彼(以下Z君)がやってくる日を待った。

 

ホームステイが始まる日、僕たちは家族全員で駅までZ君を迎えに行った。
コミュニケーションは英語でしなければならないんだろうな、と思っていた。お互いそれぞれの母国語は話せないだろうなと想像していたからだ。と言うか、僕たちは中国語はからっきしだ。いや、英語もかなり不自由なんだけど。
初対面の時、一家の主としてまずは僕が先陣を切って挨拶しなければならない、やべーなぁ、大丈夫かオレ?などと緊張しながら対面の時を待っているとZ君が現れた。

な、ないすとぅーみーちゅー、などとたどたどしい英語で話しかけると、Z君はしっかりとした日本語で「はじめまして、よろしくおねがいします」と返してきた。

え、日本語話せるの!しかも上手い!

 

そう、彼に会って一番最初に、一番びっくりしたのが語学が堪能な事だった。英語はネイティブ並、日本語も日常生活に不自由ない程度には話せる。17歳にしてトリリンガルである。
聞けば、彼の地では英語は小学校から学ぶのだそうだ(恐らく上流階級の子供が通う学校でのみだとは思うが)。で、高校では日本語も勉強するのだとか。

学習に対する意識も高く、Z君の家庭では勉強のため夜の7時から8時までの間は家族間でも英語でしか話さないのだという。それを流暢な英語で話された僕たちは「おおー」「マジか」「すげー」などと(日本語で)感嘆符を口にした。
日本にいる間も、昼間は学校でしっかり勉強し、帰宅後晩飯の後に団欒を楽しむと、ステイの間貸す事にしていた息子の部屋にいそいそと上がって行って遅くまで勉強していた。

これは、僕にとっては文字通りのカルチャーショックだった。確かに通っている高校だって日本で言えば灘とか開成レベルの進学校なんだろうけど、それだけではなく会話の端々にしっかりと「世界」を見据えている事が見て取れた。僕の息子も一応は私立校の進学クラスに通ってはいるのだけど全然心意気が違う。
まあ日本という島国の、しかも地方都市でしか暮らしたことのない息子と比べるのはちょっと可哀想ではあるんだけど、それはまごう事無き現実なのだ。
日本が良くも悪くも島国である事も実感したなあ。本当に良くも悪くも。

 

Z君は優しくて知的で礼儀正しくて、ちょっとシャイなとても素敵な少年だった。日本に来たのは初めてではなかった様だけど初めはかなり緊張していて(当たり前だ)表情も固かったりしたのだけれど、ステイ後半は随分慣れてきていた様に見えた。
僕はZ君のお陰で中国人が好きになった。まあ日本人と一緒で色んな奴がいるんだろうけどね、それはきっと世界中何処に行っても同じなのだろうし。

Z君がステイ中はお袋が大活躍で。カルチャースクールみたいな所で英会話を習っていた事があるみたいで、我が家のメンバーの中で一番会話が出来た。おばあちゃんだからコミュニケーションも上手いし。彼女は市井の市民の間の日中友好に多大なる貢献をした。

 

終日自由行動の日。姪っ子も連れ出してみんなで出歩いた。わざと田舎道を走って御所湖方面に。Z君は車窓を眺めながら、盛岡は景色も空気も綺麗です、何より空が綺麗です、と言っていた。上海と違って田舎だからさー、なんて返したけど。
その後ショッピングモールに行ってプリクラ撮影会(娘の提案)。アレすっごい日本的だもんな。いいアイディア。

最終日に、僕は家族を代表して、心からの謝意と、家族全員がZ君に対して好意を持ったことを拙い英語で伝え、お土産として用意した南部鉄器の風鈴を渡した。僕は中国語を話せないから、紙に「多謝、再見」と書いた。Z君はしっかりした日本語で「感激しました、ありがとうございます」と返してくれた。

 

 

実はZ君は日本の大学に進学したいと思っているらしく。おーんじゃ連絡先交換しようぜ、という事になったんだがこれがなかなか難しい。SkypeもGmailも中国じゃ使えないんだってね。どうするべ、と悩んだんだけど何とLINEがイケた。LINEって韓国の企業で提供しているサービスなのよね確か。
早速娘が招待で6人のグループを作ってくれ、未だにたまにやり取りしている。

 

 

 

ウェブサイトのURLの最初に付くwww.は、World Wide Webの略。世界中にクモの巣の様に広がるネットワーク、の意だという事なんだけど、まだ僕がインターネットというものに好意しか持っていなかった頃は僕にとってはwww.とはWhole Wide Worldの略だった。直訳すると「この広き世界」という感じだろうか。出典はこの曲ね。
まあ今ではそんなに好意だけ持てなくなっちゃったけどね。
それでもいい曲なんだよな、この曲。Wreckless Eric(向う見ずなエリック)という芸名やら豹柄のセットアップの衣装とか、B級っぽさ満点なんだけど、大好き。’70年代のイギリスのパブロッカーで、僕はこのアルバムしか持ってないし好きなのもこの曲だけなんだけど。
使ってるコードはふたつだけだからね!

 

 

 

 

 

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2 comments on “留学生のホストファミリーになった話

  1. Turn-X

    身近な人でホームステイを受け入れしたというのは、初めて聞きました。
    意外と色々なところで受け入れをやっているものなのですね。
    記事を読むと、準備なども大変だったようですが、留学生の人やお子様方にも良い経験になったのではないでしょうか。
    ことに留学生の人にとっては、本格的に留学するとなるとどうしても都会の大学に行く事になるでしょうから、その前に地方の都市を見てもらえたのは、日本の事を知ってもらう上で大きかったのではないかと思えます。
    こういう話を聞くと、せめて海外旅行でもして見聞を広げなければならない気分になりますね(笑)。

    • ヨコチン Post author

      ウチの息子も3月にホームステイで外国に行くらしいんだけどね、その交換という形みたいよ。
      Z君、実は志望が仙台の国立大学らしく、おー合格したらまた会えるね〜なんて話しながら連絡先交換したんだけどね。
      いや〜日本で暮らしてると、外国人と触れ合う機会って少ないじゃない?かく言う自分もまさにそうなんだけど、日本ってそういう(ちょっと特殊な)国なのかな〜ってのは痛感したね。地続きの隣国がある訳でもなし、日本語の他の語学も意識しなきゃ学ばなくても暮らして行けるじゃない。
      あまり「グローバル社会がー」とか見栄を切られるとひねくれ者のオレはふーん、で?とか思っちゃうんだけど、その辺の意識も変えていかなくちゃならないのかなぁって気にはなったよ。
      今、自由になる時間と少々のお金があったらジムと英会話スクールに通いたい。単純だから、オレ。笑

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