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四十九日

 

日曜日に、父の四十九日の法要のために家族で仙台に行ってきた。

 

 

…ほぼ実名でWeb上に日記的な文章を書き始めてからもう20年ちかくになるけど、書き始めてからずっと心に引っ掛かっていたのが「肉親に不幸があった時に何を書けばいいのか?」という事だった。
軽々しく書きたくもないし、そもそも軽くなんて書けないし、かと言って今まで書いてきたものは全てWeb上に記す僕の人生のログだから事に触れない訳にはいかないし(これは悩んだんだけど、父親の死についてこの場所で全く触れない事は僕には出来なかった)。かと言って訳知り顔で何やら悟ったような教訓めいた事を書くのも嫌だった。
そうやって心の片隅にやりたくない宿題のように答えを出すのを棚上げしながら何年もの間キーボードを叩いてきたのだけれど、問題の回答を思いつく前に提出期限が(思っていたよりもずっと早く)来てしまった。
父が亡くなってからの忙しさの合間合間に「どうしようどうしよう」と考えてはいたのだけれど、結局これといった答えも見つからず。

 

という訳で、今もって何を書いたらいいのか分からないんだけど、何か書かない事には気持ちの整理もつかなさそうなのでとにかく書く事にする。

 

 

生前の父は、実際の僕を知っている人からは想像も出来ないだろう人柄だった。巨人・大鵬・卵焼きを好み、取りあえず大樹の陰によっておけばオッケー、みたいな。取っている新聞は読売、ニュースはNHKしか観ない。そんな感じ。僕とはまるで正反対。
超がつく程真面目な勤め人だったから。50年以上現役で、第一線で働き続けた。そんな人となりも父なりの処世術の賜物ではあったのだろう、そう考えると本当に身も心も仕事に捧げていたんだなあと今更ながらに思う。
そしてそうやって僕たち家族を父なりに大事に大事に守ったんだなあという事に思い至ったのは、というか、そういう視点を僕が持てるようになったのは僕が 四十にもなろうとする時で。遅いよなあ。

父が不器用だったのは、前述のような価値観が唯一無二であると確信するあまり、僕たち子供(僕には姉と妹がいる)に接する時に他の視点を認められなかったところなんだろう。子供たちを愛するが余り。
他のきょうだいはいざ知らず、僕は父に負けずに不器用だったから、自分の頭で物事を考えるようになってからは父とはよくぶつかった。
本当にお互い不器用だったと今思い直しても思う。不器用同士まっすぐに相対するものだからぶつからないわけにいかない。もっと他のやり方もあっただろうと今になれば思えるのだけど、当時の僕たちふたりにはそんな余裕はなかったのだ。

 

かくして父子の間には十数年の不遇の時が過ぎるのだけど、それでも父はこの出来の悪い息子を見限らなかったからね、最後まで。有難い事に。僕は僕で自分でも多少余裕が出来てきたのだろう、昔なら腹を立てたであろう父の言動を受け入れたり受け流したり出来るようになった。粋がったりびびったりしながら散々やりたい放題やったしね。もういいや、って位。
少しは孝行しないとな、という思いもあって、だからここ数年は無駄に衝突する事もなく穏やかに過ごしていた、と思う。たまに二人で大酒飲んでした言い争いはご愛嬌だね、最後の一年くらいはそんな言い争いも無かった。心底分かり合えないまでも、お互い違うことは認められる。そんな感じ。

 

 

父が晩年緩和ケアをして頂いていた病院のすぐ脇には七北田川が流れていて、そこに掛かる橋の上からはいつも眺めている岩手山とは違う、頂上が尖った泉ヶ岳が見えた。
そこで亡くなった父は、冷たくなって長年住んだ実家に運ばれてきた。その夜に、父が生前大好きだった酒を綿棒に含ませて飲ませてやっていたら何だか泣けてきて、覚えていないくらい何年か振りで声を上げて泣いた。

 

本当に不器用な人だったと思う。そして僕はまぎれもなくそんな父の息子なんだ。この文章を書きながら改めて思うけどお互い様だったと思う、今までふたりが交わった時間も出来事も何もかも。
それでも今、そんな父の息子であった事に感謝できるって事は、変な言い方だけど父に感謝しなければいけないなあとも思う。
死は誰にでも訪れるものなのだろうけど、もう少しゆっくり一緒に酒を飲みたかった。

 

 

 

 

 

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2 Comments

  1. しばらく前から、言葉の端々でお加減がかなり悪いのであろう事は伝わっていたのですが、御尊父様のご逝去を知り、驚いています。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
    自分の時を振り返ってみれば、自分と父親とは性格はかなり近かったので、それでかえってぶつかる事が多かったような気がします。
    今になってみれば当時の心境が理解できる事もあれば、未だに許せない事もあったりするのですが、それは親子といえども人間同士である以上、仕方のない事なのでしょう。
    それでも親孝行を実行して、最後に泣いてくれる人がいたというのは、幸せだった事と思います。
    自分の場合はそんな事はしなかったし、泣きたい気分になっても泣けませんでしたし。
    そのせいか何年も夢に出るときが続きましたが、そういう形であっても亡くなった人を偲ぶのも、供養のうちかなと考えています。
    ともあれ、何かと疲れが出る時期だと思いますので、御身お労りください。

    • ヨコチン

      20/03/2017 at 11:34

      君の場合オレよりもかなり早くお父さんを亡くしているので、その違いもあるんじゃないかな。書いた通りオレも親父との関係が良くなりだしたのは40歳前後だったから。特に男の場合、父親との関係って結構難しいと思うしね。
      多分我が家の場合、オレが徹底的に、徹頭徹尾我を通したから良かったのかなあなんて思ってます。下手に言う事聞かなかったから遺恨が残らなかった。自分で考えて行動した結果は全部自己責任だからね。
      それにしても身内に不幸があると色々忙しいモンだね、お気遣いありがとう。もうあらかた落ち着いたんでこっちは大丈夫です。

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