春はいいなあ / Drop’sと芸術

盛岡の天気は先週あたりから急激に春めいてきて、朝晩はまだまだ冷えるものの日中は10度を越える日も増えてきた。
道ばたに寄せられて固まっていた除雪された雪の塊も日に日に溶けていき、彼岸までにはなくなっちゃうんじゃないの?という雰囲気。

今年の冬は長くて寒かったから、暖かくなるのは本当に嬉しい。柔らかい日の光を浴びていると気分がほっこりとしていくのが実感できる。
本っ当に寒かったからね、今シーズンは。出勤するAM7時頃は気温が-10度を下回る日が続き、なんか今日は暖かいなあ、と思ったら-7度だったって事があった。-7度を暖かいと思うとか色々終わってるよね〜。

という訳で、冬の間に出来なかった事を色々再開する時期ですな。手始めにベスパを路上復帰させた。
丸々一冬寝かせたから始めはエンジンの掛かりが悪かったんだけど、10回くらいのキックで無事始動。一度しっかりエンジンを暖めたら絶好調で、相変わらずの人馬一体感でちょっと離れたところにあるラーメン屋までショートツーリング。

ここ、この街に越してきて割とすぐの頃から贔屓にしていた店で、カウンターのみの小さな店だったんだけど、人気もあったからか去年大きな店舗に移転オープンして。
なんかクルマで行くのが癪で、暖かくなったらバイクで行く、と決めてたのを実行出来た。相変わらず美味しかったなあ。

とりあえずは走る分には何の不具合もないベスパなんだけど、道中ヘッドライトの球が切れた。で、連動してテールのフェストン球もお亡くなりに。
ベスパみたいな原始的な乗り物は、ヘッド、テールの球のどちらかが切れるともう片方に過電流が流れて両方ダメになってしまうケースが多い。バッテリーも無いバイクだし、発電系統にレギュレーターが付いてないのかな。やたらバツバツと球が切れる車体もあるようで、切れ防止用にとワッテージの高いテール球が売られていたりもする。それこそ全てがコンピューター制御の現代ではおおよそ考えられない原始的な対策だけど、そんな適当さが愛おしいぜセニョリータ。
でもこのペアは随分持った方だな、何年も換えた記憶がない。
手持ちのスペアと交換したけど、長い間使ってただけあって両方ともすっかり焼けているね。こりゃヘッドライトも暗い訳だ。

燃料コックがOFFにならなかったり、インマニの不具合の恐れがあったり(心当たりアリ)、そういや前後のショックはSIPから輸入したっきり付けてなかったりでそれなりに楽しめる箇所もあるんでおいおい手をかけていこうかな。でもまあ取りあえず次の休みはSRをいじろう。

ああ、やっぱり春はいいなあ。やりたい事が次々に頭に浮かぶ。

Drop’s、ってバンドがエラくカッコいいという話は聞いていたんだけど、20代の女の子のバンドでしょ?とか軽くナメてて、でもいざ聴いてみたら本当にカッコ良くってぶったまげた。
高校の同級生で作ったバンドで、去年変わったドラム以外は当時のメンバーで現在24歳なんだそうだ。そのメンバーで、この通りの滅茶苦茶腰の据わったブルースロックをブチかましてくれる。YouTubeでは他にも何曲か聴けるのだけど、この曲が一番良かった。新曲なのかな、まだCD等では入手出来ないみたい。1日20回は再生して聴いている。
バンドのアンサンブルはしっかりしているしギターの音は最高だし、褒める所は枚挙にいとまがないんだけど、中でもヴォーカルの中野ミホさんの存在感は別格。表情(特に眼)と歌声にはこの歳にして既に本物の風格がある。

僕は芸術に関しては自分で「杭理論」と呼んでいるある視座を持っている。

子供の頃、大きな川のそばの家に住んでいた。夏に台風が来てその川が増水すると、高い堤防の上から普段友達と遊んでいる河川敷を覆い尽くす勢いで流れる濁流を眺めた。その流れの勢いは本当に凄くて、こんなのに流されたら自分なんてひとたまりもないんだろうなあ、と子供心に「畏れ」に近いものを感じた。
台風一過で晴れた翌日、水のすっかり引いた河川敷に降りると、地面にしっかりと刺さった杭に木の枝やら何やら色んなものが引っかかっている。あのもの凄い勢いで流れる川の流れに流されずに地面に刺さったままの杭を眺めながら、君は凄いよ、と思ったのをはっきりと覚えている。

後年、音楽や文学など様々な芸術に触れた時に、形や方法は違ってもそれらにある共通点があるのに気付いた。子供の頃に嵐の後の河川敷で見たあの杭に似ているのだ。
世の流れというもの、常識、と言い換えてもいいかもしれない、は、時に子供の頃堤防の上から眺めた川の濁流のように激しく流れる。それに持っていかれないようにするのは言うほど生易しいものではない事は47年間身をもって経験してきた。というか、僕自身そんな流れに翻弄され続けてきたように思う。

そんな中、立っている位置を変えずにずうっとそこにあるもの、それが僕にとっての芸術なのだ。
右に左に方向を変えながら流れ続ける世の流れに自分の居る場所を見失い、時に溺れそうになりながら必死に掴まるしっかりと大地に根を張った杭こそが芸術と呼ぶに値するものなのだ、僕にとっては。
そしてその杭に引っかかっている漂流物が僕(ら)なんだと思う。そんな杭のお陰で僕はこのあまりに価値観が多様化し過ぎた世界で、かろうじて自分を見失わずに生きていられる。

Drop’sのヴォーカル、中野ミホさんの佇まいにはそんな杭になれる風格が漂っている。僕が彼女の事を「本物」と評するのはそういう意味だ。素敵な人だな、と思う。

まあちょっと我ながら褒めすぎかな、とも思うけど、久々にぐっときた若手のアーティストでした。この曲がCDになったら絶対買うし、取りあえずこの曲のギターはフルコピーだな。
こういうの聴くとまたバンドやりたくなるね。

【重要】2018年5月23日追記
当文章中に、筆者の未熟さに由来する誤った表現がありましたのでここに訂正します。

誤・Drop’sのヴォーカル、中野ミホさんの佇まいにはそんな杭になれる風格が漂っている。
正・Drop’sのヴォーカル、中野ミホさんの佇まいにはそんな杭の様な作品を作る事ができる風格が漂っている。

ライク・ア・ローリングストーン

経緯はこちらの記事に書いてあります。よろしければご覧になっていって下さい。

6 comments on “春はいいなあ / Drop’sと芸術

  1. ほんごう

    どうも、ご無沙汰してます。
    昨今の音楽事情に疎くなっており、ここに貼ってある動画で情報得てます(笑)
    またまた良いバンド教えて戴きました、ありがとうございますm(_ _)m

    • ヨコチン Post author

      ほんごうさん、ご無沙汰しております。
      いやあ、オレもめっきり新譜の情報は疎くて、あの一時の情熱はどこへやら、って感じですよ。苦笑
      この曲かっこいいでしょう?オレぶっ飛びましたもん。若いんだけど高校生の頃からだから結構長い事同じメンバーでやってるんですよね。だから決して上手くはないけどアンサンブルはしっかりしてる。で、当時の動画とか観ると中野さんは10代の頃から既に出来上がってる感がありますね。
      今後も楽しみなバンドです。

      • ほんごう

        カッコ良いですね。
        こういうのたまらなく好きなんですよねぇ。
        Drop’s、検索して見聴きしてみます、良いの貼っていただき、ありがとうございました。

        • ヨコチン Post author

          ここまでブルージーな曲は無いですけど、同じスタジオセッションでボ・ビート使った曲があったなあ。あれも良かった。
          でも再生回数見るとこの曲ズバ抜けてるんで、同じくヤラれている人が多いんだと思います。
          いずれ、他の若手とは一線を画しているというか、我々みたいなオッサンでも違和感なく聴ける若手という意味では貴重な存在ですよね〜

  2. 日菜子

    めっちゃめちゃいいですね。
    超個人的なことですが私も4ピースガールズバンド(しかも歳近い…)でやってたのもあって、当時の私が知っていたら “絶対コピーしたい一曲 “だったと思います。こんなイカした曲を作るガールズバンドがいるんですね。教えてくれてありがとうございます。

    • ヨコチン Post author

      日菜子さん、こんにちわ。
      そーなのよ、カッコいいのよ。つか、この曲、オレらみたいな中年が捕まるオッサンホイホイだと思ってたんだけど、日菜子さんもヤラれちゃったのね。笑
      全然知らないバンドだったから色々調べてみたんだけど、中野さんは元々ミシェルガンエレファントとかSuperflyとか好きだったみたいで、でも他の若手と違うのは、憧れたミュージシャンが聴いていた所謂ルーツミュージックもちゃんと聴いてる(ように思える)所かな、なんて勝手に思ってます。
      コピー、したくなるね、確かに。バンドでやるとなると一番難しいのはヴォーカルだろうな~きっと。

Submit comment

Allowed HTML tags: <a href="http://google.com">google</a> <strong>bold</strong> <em>emphasized</em> <code>code</code> <blockquote>
quote
</blockquote>

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください