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日が暮れても彼女と歩いてた

 

 

現実逃避第二弾。

件の試験まで10日を切り、まあ正直仕上がりは順調なんだけど、「絶対に落ちることが許されない試験」に挑むというのも心理的に結構なプレッシャーで。ちょっと一息つきたいなあ、と。今月一本も記事書いてないしなー。

 

 

最近以前にも増して妻との喧嘩が増えた。
若い頃の僕はウルトラスーパーダメ男で、当時の喧嘩の原因はいつも100%僕にあったが、流石にこれじゃまずいよなあとダメ男を返上してからの喧嘩はまあ原因はいつも同じで、僕の中には僕なりに正当な理由があって悲しくなって腹を立てる。
その理由を(多分妻よりも)理解している娘はもう慣れたもので、言い争いが始まるとさっと二階の自分の部屋に上がっていき、それが落ち着くと下に降りてきて、ソファでぐったりしている僕に何事もなかったように話しかけてきたりする。

が、心の優しい息子はそれが結構ストレスなようで、昨晩もやんわりと、しかししっかりとした態度でいいかげんにしろ、とたしなめられた。
そんな息子の説教を体育座りで聞きながら、申し訳ないなあと思いつつ、オレも別に言い争いしたくてしている訳じゃないんだよなあ、と心の中で独りごちた。
悪いなって、申し訳ないなあって思ってるよ、器量の小さい父親で。でもそれがおとうなんだよ。

でもやっぱりよくないね、こういうの。

 

 

はなから無いものを欲しがったところでそれを得られる訳がないことくらい頭では分かっているつもりなんだけど、それでも期待してしまうのだろうか。

いや、期待というのとも少し違うと思うけど、いずれにせよそんなに物分かりがいい人間なのだったらいい歳こいてバイクになんか乗ったりしないし、ロックなんて音楽に執心したりもしていないのだ。

 

それが僕の器量だという事なんだろうね。僕は大人だけど、立派な大人なんかではないという事なんだろう、きっと。

状況はそのまま受け入れられないけど、自分がどういう人間かという事は少しだけ分かった気がする。

 

 

 

 

何にも言わない
ウチには帰らない
彼女と歩いてた

日が暮れて 河を見て
橋の上を電車が通る

とりあえずブラついてよう
さみーから酔っぱらっていよう
いーよな 会いたかったよ

日が暮れても彼女と歩いてた

みんなどんな顔してたっけ
ひとりづついなくなったんだ
ほんで最後は二人で
飽きるまでずっといたのさ yeah
みていたい まだみていたい
何にもみあたらねーや
オラ夢の中なんだ

どこの誰が 本当ににしあわせなんだろーか
冷たいヤな奴も
体だけはあったかいだろーや
一体あれは何だったんだろーか
いつまでも おぼえてる
クサりながら おぼえてる

何にもいらない
ほかにはいらない
彼女がまだそこにいればいーや

日が暮れても彼女と歩いてた

Theピーズ 「日が暮れても彼女と歩いてた」 作詞・作曲 大木温之

 

Theピーズの大好きな曲。

オフィシャルの音源で聴けるこの曲は3テイクある。アルバム「とどめをハデにくれ」に入っているオリジナルテイク、’97年の活動休止までの音源から選曲されたベストアルバム「ブッチーメリー」に入ってるライブテイク、小説家の絲山秋子さんが書き下ろした小説「逃亡くそたわけ」の中でこの曲を含めてピーズの何曲かの歌詞を引用し、後に小説が映画化された時に再録された2007 Version。
どのテイクもそれぞれに味わい深いのだけど、シェアしたのは2007 Ver.だ。恐らくバンドとして最も脂がのった時期の演奏だけあって聴きごたえは一番ある。

ちなみに絲山さんの小説のなかでこの曲は、この曲を引用したかったから小説を書いたんじゃないか、などと想像してしまうくらいいい場面で、ものすごい筆致で書かれている。引用するような野暮はしないけど。この曲が好きな人は是非一読をおすすめします。

 

酔っぱらって聴くピーズはいつだって最高で、よくリビングでも流していたから子供たちもこの曲のことは知っていて。
娘なんかは「おとう、この曲LINE Musicに上がってたよ、ウケた」とか言いながら鼻歌でサビのメロディを歌ったりする。それを聞いた僕ははっとして、それからはヘッドセットで聴くことにした。中学生の女の子はまだ知らなくてもいい風景だ。

 

ハルは、知っている人も多いと思うけど玄人筋からの評価も高い人だ。彼のことを「人生のパンチドランカー」などと表現した文章も読んだことがあるけど、ピーズの音楽は、優しくて真面目で気が小さい普通の人が描いた私小説ロックよね、僕が言うならば。

でもハルがファンたちに愛され、しかも優れたアーティストであるゆえんは、その私小説を皆が読める形にしてひとつひとつの作品として昇華する能力を持っているという事。それが皆の心の中にある、弱くてちっぽけでありふれた感情と触れ合い、ささやかだけどとても綺麗な円環を描く。

 

ハルがこの曲で描いた風景は、儚いけれどとても美しく、ある種のひとにとっては切実でかけがえのない風景だ。もちろん僕にとってもね。

 

 

 

 

 

読了「ルポ川崎」

 

僕は、東北地方を出て住んだ事がない。子供の頃から引っ越しが多い暮らしだったんだけど(小学校だけで都合4校に通った)、それも子供の頃に住んだのは各県の県庁所在地だけで、あちこちで暮らした割にはあまりこの国の他の地域の事を知らない。

20年前に岩手に越して来てからは、10年くらい地方都市にも住んだ。特に沿岸の街で暮らした数年間は、僕の今までの人生の中でも一番楽しかった時期だった。
都会に住んでいる人には想像出来ないかも知れないけど、陸前高田にあった妻の実家のすぐ脇に用水路が流れていて、そんな所にも秋になれば産卵の為にシャケが遡上してきた。住田町にある本家に行けば、本当に綺麗な小川を挟んで牛舎があったりね。その本家のトイレはつい最近まで家の外にあった。そういうのが普通なの。
大船渡、陸前高田、住田町、宮城県の気仙沼まで含むのだろうか、は「気仙地区」と呼ばれていて、そこに暮らしている人は気質が明るい人が多く、いい意味で田舎ならではの人情味もあって。人と人との間にいいヴァイブスが循環して再生産されているというか。本当に居心地が良い土地だった。

 

まあ僕はそんな感じの人なんです。経験知的にもメンタリティ的にも根っからの田舎住みのそれで、たまに東京なんかに行くと、あり得ない程の人の多さと延々と続く市街地に圧倒され疲れちゃって、二日も居れば家に帰りたくなる。そこに過ぎている時間の速さも人々のテンションも、40数年間培ってきた僕の常識とはあまりに違い過ぎて。

 

でもそんな僕も、いやそんな僕だからなのか、狭い日本の中にも更に僕が全く知らない世界、想像もし得ない暮らしがあるみたいだという事に、数年前くらいからかな、薄々気付いていて。主に関東の、首都圏の周辺都市での事らしいんだけど。
だから、TwitterのTLにこの本の存在が流れてきた時に「ああ、これは読まなければいけないなあ」と思い、購入した次第です。

 

「ここは、地獄か?」というサブタイトルが付いた本書は、神奈川県川崎区在住のHip Hopクルー、BAD HOPのメンバーとの関わりを軸に、川崎区という土地とそこに住む人々について書かれたルポルタージュだ。
これからこの国が抱えて行くのであろう様々な問題が凝縮された内容で、とても読みごたえがあった。

 

 

内容は、例えばAmazonの書評を読むと賛否両論、悪い面だけを取り上げ過ぎているという意見も見られる。読めば確かに極端な部分だけ切り取っているのかなあと思えるところもあるのだが、例えば、川崎区には、治安の悪さから親が子供に「あの地区には絶対に行ってはいけません」と諌める場所があるのは事実の様だ。
今まで僕が暮らした複数の街には「行ってはいけない地区」なんて一ヶ所も無かったし、そんな地区にだって当たり前の様に人は暮しているのだ。たいして広い訳でもない、同じ国の中にね。

本の詳しい内容についてはここでは触れないけど、この本についての著者のインタビューを貼っておく。ちょっとでも気になる人は是非一読をお勧めします。

 

 

この本を読んだ後では「カッコいい」という言葉を安易に使う事にためらいを覚える位、ヒリヒリとした緊張感が伝わってくるトラック。今年の4月に公開された動画だから、恐らく本の出版を受けて、満を持して作ったトラックなのだろう。
僕が初めてこの動画を再生したのが発表からちょうどひと月後だったんだけど、その時点での再生回数は既に170万を超えていた。彼らは配給もプロモーションもインディペンデントなんだけど、数字の話をすれば正直言ってその辺とは桁が全く違う。
僕はヒップホップに関してはまるっきり素人なので、ラップのテクニック的な事については言及出来ない。けど、初めて聴いた時は物凄い衝撃を受けた。それはしばらく他の音楽を受け入れる事が丸っきり出来なくなる位の衝撃だった。

過激なリリックは全部実話、なんだと思う。そしてBAD HOPのクルーにとってHip Hopという音楽は目的じゃなくて、川崎という土地で今日を生き抜く為の手段なのだろう。

 

また誰かがつぶやく
この街から出れない
欲望が街渦巻く
出どころなら池上
Gang bitch 横目ふかすweedにアクセル
ネズミのようにチェダー追う
KIDSたちの夢になる
火を噴くNinja KAWASAKI

 

2分過ぎから始まるBarkのバースが一番好き。赤いパーカー着て脇腹に大きく044(川崎の市外局番らしい)のタトゥーを入れてるクルーね。
ここは勇気を出して「カッコいい」と言うべきなのだろう。滅茶苦茶カッコいいよBAD HOP。男にとってカッコいいは一番の褒め言葉だ。今も昔も。

ちなみに彼らは、今までHip Hopを毛嫌いしていた僕に、ちゃんと向き合って聴くきっかけを与えてくれた存在でもある。感謝しています。

 

VICE Japanが撮ったインタビュー動画も観たけど、このYZERRのインタビュー動画が彼らが置かれていた状況を目と耳で知るのには早いかな。出来れば本を読んで欲しいけど。

彼の地では、少年たちは公園に集まり、スマートフォンで流すビートに合わせてフリースタイルのラップを練習しているのだそうだ。なるほどなあ、楽器を持っていなくても、スタジオに入らなくても音楽は出来る。仲間内で誰かひとりスマートフォンを持っていればいいのだから。
もちろんBAD HOPの成功の影響も大きいんだろうけど、川崎の不良少年たちの間ではこういうスタイルがリアルなんだろう。

それにしても…。「ゲットーを抜け出すには、バスケットボールの選手になるかラッパーになるかしかなかった」みたいなロジックって、遠いアメリカでの話だと思っていたけど…。まさかこういう形でこの音楽が日本に根付くとは全く想像もしていなかった。
正直、一連の情報を体内に入れた後は、僕は根っからの田舎住みで良かったなあというのが一番の感想だったんだけど、今の世の流れを見るに、あまり他人事だとも思っていられないんだろうね、きっと。

 

 

 

 

 

ライク・ア・ローリングストーン

 

 

先日、48歳になった。

GWに帰省した先でお袋と大喧嘩して、家に帰って来たら来たで妻と大喧嘩。なんでオレはこうなんだ、と凹んでいたら、それを見兼ねた訳でもないんだろうが、息子が小遣いで誕生プレゼントを買って僕に贈ってくれた。

優しい奴だよホント。こんないい男いない。それに幾らか励まされ、妻と娘に僕が今置かれている状況を少しだけ話したら気分も多少落ち着いてようやくフラットな気持ちでキーボードに向かえる様になった。けど、地獄のようにヒリヒリしたメンタルのGW明けだったなあ。

もういい歳なんだからもう少し強くならないとな、とは思うのだけど、生来の器量なんてそうそう変わるモンでもないんだろうね。これでも少しづつは変わっているとは思うんだけど、歯がゆく思う事も多い。
こればかりは焦っても仕方ないんだろうけど。

 

— 

 

僕は年齢的に言えば人生の折り返し点はとうに過ぎていて、これからどういう生活を送るか、真剣に考えなければならない時期にある。
そういう事について、実は数年前から少しづつ準備を始めていた。人生の終盤をいかに生きるか、についての僕なりの準備だ。ふたりの子供にきちんとした教育を受けさせ、世に送り出し、さらに自分が老いてから必要以上にふたりに迷惑をかけない備えをする事。書いてしまえば簡単な事だけど、実際にやるとなると今の世の中では中々に難しい。

特に年が明けた辺りからは具体的にその事に関わってくれる人も何人か出来、いやーやっぱり出来ませんでした、じゃ済まない状況になってきている。
直接窓口になってくれている人は、僕の顔を見るたびに「おー頑張ってるか?いいか、事故、揉め事、喧嘩、全部ダメだからな、分かってるな?よろしく頼むぞ!」と言ってくる。
うっす、分かってます、よろしくお願いします、と返すものの、正直に言うとその件でも最近はかなりナーバスになっている。

先日、書類の類は苦労して全て集め終えたから、簡単な話、後は時期が来るまで家の中に引き篭もってじっとしていれば済む話ではあるのだ。ただそれでは生活が立ち行かないし気も滅入るから、仕事にも出るし気分転換にバイクにも乗る。

ただ、弱ったメンタルのせいもあるのだろうが、流石にバイクで遠出をする気分じゃなくなってきた。いくら気を付けていても万が一があるのが世の常だ。運転に関しては自信も自負もあるけど、避けられるリスクは避けたい。ここで失敗をしでかしたら、僕の家族だけではなく多くの人に迷惑がかかる。
ちょっとまだ、敢えてボカして書かざるを得ないんだけどね。

 

なので、2台の単車は最近はもっぱら、精々隣町のラーメン屋まで行くアシとして程度の活躍しかしていない。あ、ベスパは通勤にも使ってるか。でもその程度。

 

ここ数年の新年の抱負が無理しない、だったり、頑張らない、だったり、柄にもなく元旦に神社で安全祈願をしたりしてたのは実はこの事があっての事だったのだ。

 

たまに食べる美味しいラーメンが今の僕のストレス解消法。

 

美味しいラーメン、大好き。

 

でもなあ、あまり縮こまってばかりいるのも面白くないし、気分もだいぶ良くなってきたから、天気のいい日に安全な道を選んで遠出するかも。岩手は今が一番いい季節だからね。
正直プレッシャーはきついけど、何とかやり抜けるんじゃないかという自信もあるんだよね。根拠ないけど。でも、今までだってヘビーな状況を何度もかいくぐって来てるしね、そこは自分を信じるしかない。まあぼちぼちやります。

 

— 

 

 

以前動画をシェアしたDrop’sのヴォーカル、中野ミホさんのソロライブ。
この曲もすごくいいね、誰かに褒めて欲しいって、ある種の人間にとっては根源的な欲求だと思う。使ってるギターはギルド。渋い。
しかし中野ミホさん、パワフルな歌だな〜。すごく痩せてて背も小さいのに、それを全然感じさせない存在感が凄い。大好きなシンガーです。

 

「転がる石には苔むさず」

 

あの記事で、僕はDrop’sというバンドがカッコいい、という事を足がかりにして僕なりの芸術についての所感を書いた。
その後、別の記事にディランの歌を貼り付けてそれを翌日読み返した時にこの言葉を思い出し、その瞬間に全身から汗が吹き出した。失言に気付いた時にかくのと同じ種類の汗だ。

なんという事だ。こんな根本的な事を忘れていたとは。

あの記事で、僕は決定的な部分で決定的に誤った記述をした。
個々の作品が僕にとっての杭になることはあっても、芸術家その人自身が杭なのでは決してない。そんな事は基本のキじゃないか。いや、もちろん人そのものがあの文章で書いたような杭の様に、芯のある、ブレない方は多くいるし、そういう人に僕は敬意を払う。でも少なくとも、ロックンロールなんてものに関わる人を表すために使っていい表現では絶対になかった。その類の偶像崇拝が招いた不幸な出来事を僕自身何度も見てきた筈じゃないか。

 

大事な事なので繰り返す。芸術家その人自身が杭なのではない。芸術家が骨身を削ってつくった「作品」が僕にとって杭になる事がある、という事だ。
芸術家その人は全くの自由だ。転がろうが漂おうが。

 

あの記事のあの記述は、恐らくこのblogを始めて以来最大の誤りで、あんな記述をしてしまった自分を心底恥じた。
今更書き直す訳にもいかないので、ここに訂正する事にする。

誤・Drop’sのヴォーカル、中野ミホさんの佇まいにはそんな杭になれる風格が漂っている。
正・Drop’sのヴォーカル、中野ミホさんの佇まいにはそんな杭の様な作品を作る事ができる風格が漂っている。

元記事にも追記しておきました。

 

薄々気付いていたけど、きっと今は僕自身が転がっていないんだろうな。だからこういう文章も無意識のうちに書いてしまう。今日の記事だって前半は流浪とは対極の話だしね。
はぁ。やっぱバイク乗らなきゃダメだな。それが怖かったらせめて自転車に乗ろう。

 

 

 

 

 

 

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