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カテゴリー: 徒然草 (page 1 of 5)

バイク達の冬支度


相変らずの平日昼間の男なので、物置整理を兼ねて不用品をオークションにシコシコと出品している。

これがいい暇つぶしになるんだな、画像を撮って、説明文を書いて、相場をチェックし、開始価格を決め、アップロードする。この時期はお金持っている人が多いからね(ボーナス時期だから)、また良く入札も入る。トップの画像は昔使っていたSRのシート。状態も悪くないから相場+αで落札頂きました。


その他もう使わないコンピュータのHDDだったりメモリだったり。まあこの辺の部品は動作品であれば値付けを間違わなければ売れないって事はないから楽勝なんだけど。



一番びっくりしたのが、昔、後輩Turn-Xに貰ったKONIのショック。もう使わないし、傷も入っているし、開始価格で売れればいいやと磨きもしないで安い値段で出してみたらこれが入札入る入る。

えー!と思って調べてみたら、昨今の旧車人気で引き合い多いらしいね、KONI。なかでも’70年代製はかなりのプレミアみたいで、僕がみたらゴミみたいな(失礼)サビだらけの出品物に数万円の即決価格が付いているものもあった。

まあシートと相まって、正月の餅代くらいにはなりそうです。


寒さもひと段落して路面の雪もほとんど無くなってきたから、3台のバイクの越冬の準備もする。

少なくともSRとPパイセンには冬の間は乗らないからね、春に乗り出す時に少しでも楽なように、また、タンクやキャブレターの状態を少しでも良く保てるようにやれる事をやっておく。

まずはSR。秋のショップツーリング以来エンジンも掛けていなかったので、寒空の下汗だくになりながらエンジンを掛ける。気温は2度くらい?寒さもあるんだろうけど、やっぱりマメに掛けてないとダメなんだね、30回くらいキック踏んでようやく掛かった。もうこれだけでフラフラ。


しばしエンジンを暖めて行きつけのスタンドに向かい、ガソリンを満タンに。帰宅後、主治医オススメのWAKO’SのFUEL 1をタンクに投入、ちょっとアイドリングさせてキャブまでガソリンを回す。


意外とラクラク始動だったPパイセンにも同様の処置を施す。こちらはほぼ満タンだったので家での作業のみ。

主治医によるとこのFUEL 1、長期保管時のタンク、キャブの状態の保全に効果があるらしく。パイセンもだけど、特にSRのタンクとキャブは大事にしているので、そんなに高いものでもないので迷わず入れる。

ET-3は路面状況次第では冬の間も乗るかも知れないけど、これもどうなるか分からないので、久しぶりにエンジンを掛け、近所のショッピングモールに買い物に出掛けたついでにやはり満タンにし、余ったFUEL 1をタンクに入れておいた。




で、先ほどメットに新しいVespaステッカー貼った。プチ晴耕雨読。カッコいいね〜(自画自賛)。これもワッペン同様ピアジオ純正品。
ちなみに○○Kills、というのは俗語で「○○カッケェ〜」「○○ヤベェ〜」という意味で、Speed Killsになると、ブッ飛ばすのたまんねぇ〜ぐらいの意味になる。ふふ、アホでしょ。

あー早く春にならないかな、もうそんな昔みたいに飛ばさないと思うけど、思う存分バイクに乗りたい。


派手好きなのかわかんないけど、僕がみっつ持っているヘルメットは気付いたら全部黄色だった。意識して揃えた訳じゃないんだけど、仲間内では「黄色いメットの人」で僕が特定出来るらしい。

以前SNSにこの画像をアップした時、「卵黄?」というツッコミを頂いた。ははは、確かに。見てるとすき焼き食いたくなるね。





…昨日の夜、ネットでニュース見てたらものすごく面白くないニュースが目についた。まあその時は酔っ払っていたし、配信元はおれが嫌いな週刊誌だったので悪酔いもせず眠りについたのだけど、今朝起きてニュースをチェックしていたら、リベラル系のネットメディア、BuzzFeed Japanがその件について詳細な記事を上げていて。起き抜けで低いはずの血圧がどんどん上がっていくのが自分でもわかった。
この記事ね。おれみたく機嫌を悪くしたい人は読めばいいさ。気分を害したくない人は読まなくていいと思う。まあ、#Metooな出来事がまた起きていた事が分かった、と言えば感のいい人なら察すると思うし。

今回告発されたのは、人権派フォトジャーナリスト、月刊誌「Days Japan」発起人にして元編集長。
正直に言ってショックだった。自分も信条的にはリベラルだと思っているし。おれ、この雑誌何度か買った事あるわ。自分で稼いだ金で。確かに写真は良かったかもな。

おれは断じてフェミニストなんかじゃないけど、こういう話が大嫌いだ。先日バイク仲間と飲んでいた際に仲間内であった似たような話を聞いた時もその場でひどく腹を立て、場の空気を凍りつかせた(その節は大変失礼しました>各位)。


…何が「無理やりじゃなかった」だ。パワハラ、モラハラ、セクハラ、ハラスメントのオンパレードじゃねぇか。しかもやり口手慣れてるだろ?人権派が聞いてあきれるっつーの。


おれたち男というのは、ものすごく弱い生き物なんだ。件の忘年会の時も少し話したんだけど。コンプレックスと欲にまみれ、頭も悪い。 自分の性欲ひとつ制御できない。
だから、肉体的な「力」を与えられたんだろうね。そうじゃなきゃ女性の強さと均衡取れないもん。そしてその力の使い方を間違った奴がこういう事をしでかす。


まずは自分の弱さと性差のバランスを自覚する事なんだろうね。そうしないとこの手の出来事は無くならないような気がするな。





2018年12月26日追記
この文章を書いていた間に、件の広河氏は公の場で謝罪し、同時に社会的制裁も受けたようですね。まあ特にに感想もありませんが。
しかしながら「見た目クソだけど実際もクソだった」というのと「見た目はケーキだったが食ってみたらクソだった」というのは、食べさせられた側が受ける衝撃は桁違いだと思うのでその観点からこの記事は取り下げません。
個人的にはこの事件を教訓に「見た目はクソだけど意外とおいしかった」という感想を得られるような男になりたいと日夜邁進していく決意を固めた事を報告して記事を締めたいと思います。






晴耕雨読

 

今年は秋口から初冬までとても暖かくて、今年は前評判通りの暖冬なのかな、と思っていたんだけど、12月に入ってからは例年通りの寒さ。
先週末、週間予報を見たら今週はめちゃくちゃ荒れるみたいだったので覚悟していたんだけど、昨日は朝起きたら外は一面の銀世界。えー、一晩でこんなに降ったんだ!と驚くくらいの量の雪が積もっていた。
家の裏に停めてあるハンドチェンジ・ブラザースもすっかり雪に埋もれている。

朝の7時の時点ではまだまだ湿った雪がバンバン降っていた。20cmくらい積もったのかなー?時間があるうちに物置の片付けとかしたいんだけど、この雪じゃ何も出来ない。
なので、所用や晩の買い物を午前中のうちにやっつけてしまい昼からは家にこもることに。



 

ウガガさんに発注していたワッペンが届いてたんだよね。
このワッペン、カッコいいでしょう?これピアジオ純正なんですよ、以前一度入荷した時にすごくいいな、と思って、あー何かのついでに買おうとかのんびり構えていたら売り切れちゃって。

やっぱり何かのついでとかヨクナイ、とかなり後悔したんだけど後の祭り。パーツならともかくこれはグッズだし、再入荷はないだろうなーと悲しんでいたらなんと奇跡の再入荷。もう速攻発注をかけた。タブレットの画面割れるんじゃないかって強さで「カートに入れる」ボタン押した。

…今回の発注の「ついでに」いつか買おうと思っていた商品も一緒に注文したのは内緒にしておきたい話。まあ僕、小市民なんでね。いつも色々すいません。



それをキャップに縫い付けるのだ。
家の外の大雪を尻目に、晩飯の豚の角煮を煮込みながら、bluetoothのスピーカーで音楽流しながらのんびり作業する。

晴耕雨読だね。北国、特に北東北以北に住んでいる人間は、ウィンタースポーツをやるか、こういう時間の過ごし方を会得するかしないと冬季間の時間を持て余す。
だってこんなに雪が積もったら、ランニングはおろか散歩も出来ないんだよ。西の方に住んでいる人には想像もできないだろうけど、それはそれは閉ざされた時間なんだ、北国の冬は。

布用のボンドで貼り付けたあと、マチ針で位置決めをしてワッペンがズレないようにして縫い付ける。
なんかマチ針の刺し方も間違っている気がするんだけど、それこそ縫い物とか全然わかんないしねー、針の先がチクチクと指に刺さるけど気にせず淡々と縫う。



で、完成です。
んーなかなかやねー。
 



 

キャップはOTTOのスナップバック。かなりイケてるシルエットで気に入った。
メッシュキャップと一口で言ってもホント色んなボディがあって、ここ20年超で両手両足の指の数じゃ余裕で足りないくらいのキャップ被ったけど、配色やプリントがいくらカッコよくても、ほんの数mmの角度や高さや形の違いとかで「なんか違うなー」と感じるキャップの方が断然多くて。やりすぎていたり足りなかったり。
経年変化でヨレる前にヘタっちゃったりね。メッシュキャップ道は奥が深いのだよ。

このOTTOのキャップはクローゼットに眠っていたのを先日発掘し、直後に件のワッペンを見たときに、あーこれ、あのキャップに貼ったら絶対カッコいい、とひらめいた。
タイミングがうまく合ったんだね。こんなにカッコいいキャップが出来たのも何かの巡り合わせなんだろう。



 

キャップとワッペンを発端にしてちょっと話は飛ぶのだけど。

僕は神様も仏様も全く信じていない。おみくじや占いも嫌いだし、スピリチュアルな話も正直好きではない。
でも、奇妙で絶妙なタイミングとか、運命みたいなものは信じていたりする。理論や理屈では説明できない不思議な力を感じる時が、生きていると多々ある。
それは理論や理屈では本当に説明できなくて、軽く、ああオレラッキー、で済ませられるものから、よく考えると背筋が寒くなるものまで、それはポジにもネガにも作用して、僕たちの人生は半ばそういうものに導かれている、と感じる時がある。

「それ」が何なのかは僕には分からない。はっきりと感じるけど、その正体が何なのかは分からないのだ。
なので、その部分について僕は分からないままにしておいている。


反面、何故分からないのか、という事の理由は分かっていて、それは恐らく「信仰」が無いから。絶対なものとして信じるものがないから、オーマイゴッド、でカタが付かないから、僕たち日本人は時に迷い、惑う。人間そんなに強くないのだよ。

物事を分からないままにしておく、答えを出さずにおく、というのは、実際にしてみるとすごくパワーが要る事で、僕を含む少なからずの凡人はその辛さに耐えられずに安易に物事の答えを出そうとする。
将来に対する漠然とした不安、満たされない不満、色恋における相手の気持ちetcetc…。





元号が平成のうちに書いておきたかったのだけど、そういう事が見事に象徴された出来事が、オウム真理教をめぐる一連の出来事だったのではないかと僕は考えている。

重大な罪を犯した信者の多くは、高学歴の、知能レベルの高い人たちだったと聞く。僕の想像だけど、時代に惑い、人生に悩み、運命の不条理に耐え切れず、心底困り果てた挙句にたどり着いたのが安っぽい「信仰」だったのだろう。

いや、本人達はインチキに気付いていなかったんだと思う。というか、当人達にしてみれば、それが本物に見えたからこそそれに身も心も捧げたのだろう。信仰のフィルターを通せば全ての不条理に対して答えを出せたのだろう、その全能感はさぞ気持ちのいいものだったのかなって事は僕なりに想像がつく。まあ当の教祖さまはハリボテもいいところだったんだけど。

そうやって散っていった無垢で愚かな魂には、合掌を捧げることしか出来ないけど。

だし、恐れ多くもあの出来事を他山の石とさせてもらえるのならば、生きるということの一面は、自分の人生を自分の責任において、危うさや不確かさを抱えたままに強さを持って全うする事だと自覚する事なんじゃないのかな、と思う。
 


タイミング、と言えば。
無職で暇だから、実際に買い溜めていた本も読んでいる。これは夏くらいに買った本かな、名著「ロング・グッドバイ(長いお別れ)」の5年後に刊行された、次作(寡作な方だったらしいね)にして、チャンドラーの遺作。
ラスト数頁が「長いお別れ」の続編の体になっていて、まあそういうの全然知らずに古本屋で目について買ったのだけど、あまりに衝撃的な終わり方に、えーーーーーーーマジか、と声が出た。こりゃ確かに問題作だ。

なぜそんな衝撃の展開をこの時期に読まなければならないのか全く意味が分からなかったけど、それが「タイミング」の妙なんだろうなー。ひー。

 

 

一部では有名な動画。
なんかくどい事書いちゃったんで、口直しにワイルドな奴でスッキリしてください。
モーターヘッドの名曲Ace of Spadesに、映画Mad Maxの名シーンをコラージュにして重ねた奴。
著作権の関係でなのか、たまに見られなくなったりもしたんだけど、ここ数年は安定して観ることが出来る。
モーターヘッドのハイボルテージ・ロックンロールとMad Maxの世紀末的世界観は相性が良くて、うおーオレも爆走してー、狂い咲きてーという気分になる。
ある種のR&Rとアクション映画の正しい使い方だね。







日が暮れても彼女と歩いてた

 

 

現実逃避第二弾。

件の試験まで10日を切り、まあ正直仕上がりは順調なんだけど、「絶対に落ちることが許されない試験」に挑むというのも心理的に結構なプレッシャーで。ちょっと一息つきたいなあ、と。今月一本も記事書いてないしなー。

 

 

最近以前にも増して妻との喧嘩が増えた。
若い頃の僕はウルトラスーパーダメ男で、当時の喧嘩の原因はいつも100%僕にあったが、流石にこれじゃまずいよなあとダメ男を返上してからの喧嘩はまあ原因はいつも同じで、僕の中には僕なりに正当な理由があって悲しくなって腹を立てる。
その理由を(多分妻よりも)理解している娘はもう慣れたもので、言い争いが始まるとさっと二階の自分の部屋に上がっていき、それが落ち着くと下に降りてきて、ソファでぐったりしている僕に何事もなかったように話しかけてきたりする。

が、心の優しい息子はそれが結構ストレスなようで、昨晩もやんわりと、しかししっかりとした態度でいいかげんにしろ、とたしなめられた。
そんな息子の説教を体育座りで聞きながら、申し訳ないなあと思いつつ、オレも別に言い争いしたくてしている訳じゃないんだよなあ、と心の中で独りごちた。
悪いなって、申し訳ないなあって思ってるよ、器量の小さい父親で。でもそれがおとうなんだよ。

でもやっぱりよくないね、こういうの。

 

 

はなから無いものを欲しがったところでそれを得られる訳がないことくらい頭では分かっているつもりなんだけど、それでも期待してしまうのだろうか。

いや、期待というのとも少し違うと思うけど、いずれにせよそんなに物分かりがいい人間なのだったらいい歳こいてバイクになんか乗ったりしないし、ロックなんて音楽に執心したりもしていないのだ。

 

それが僕の器量だという事なんだろうね。僕は大人だけど、立派な大人なんかではないという事なんだろう、きっと。

状況はそのまま受け入れられないけど、自分がどういう人間かという事は少しだけ分かった気がする。

 

 

 

 

何にも言わない
ウチには帰らない
彼女と歩いてた

日が暮れて 河を見て
橋の上を電車が通る

とりあえずブラついてよう
さみーから酔っぱらっていよう
いーよな 会いたかったよ

日が暮れても彼女と歩いてた

みんなどんな顔してたっけ
ひとりづついなくなったんだ
ほんで最後は二人で
飽きるまでずっといたのさ yeah
みていたい まだみていたい
何にもみあたらねーや
オラ夢の中なんだ

どこの誰が 本当ににしあわせなんだろーか
冷たいヤな奴も
体だけはあったかいだろーや
一体あれは何だったんだろーか
いつまでも おぼえてる
クサりながら おぼえてる

何にもいらない
ほかにはいらない
彼女がまだそこにいればいーや

日が暮れても彼女と歩いてた

Theピーズ 「日が暮れても彼女と歩いてた」 作詞・作曲 大木温之

 

Theピーズの大好きな曲。

オフィシャルの音源で聴けるこの曲は3テイクある。アルバム「とどめをハデにくれ」に入っているオリジナルテイク、’97年の活動休止までの音源から選曲されたベストアルバム「ブッチーメリー」に入ってるライブテイク、小説家の絲山秋子さんが書き下ろした小説「逃亡くそたわけ」の中でこの曲を含めてピーズの何曲かの歌詞を引用し、後に小説が映画化された時に再録された2007 Version。
どのテイクもそれぞれに味わい深いのだけど、シェアしたのは2007 Ver.だ。恐らくバンドとして最も脂がのった時期の演奏だけあって聴きごたえは一番ある。

ちなみに絲山さんの小説のなかでこの曲は、この曲を引用したかったから小説を書いたんじゃないか、などと想像してしまうくらいいい場面で、ものすごい筆致で書かれている。引用するような野暮はしないけど。この曲が好きな人は是非一読をおすすめします。

 

酔っぱらって聴くピーズはいつだって最高で、よくリビングでも流していたから子供たちもこの曲のことは知っていて。
娘なんかは「おとう、この曲LINE Musicに上がってたよ、ウケた」とか言いながら鼻歌でサビのメロディを歌ったりする。それを聞いた僕ははっとして、それからはヘッドセットで聴くことにした。中学生の女の子はまだ知らなくてもいい風景だ。

 

ハルは、知っている人も多いと思うけど玄人筋からの評価も高い人だ。彼のことを「人生のパンチドランカー」などと表現した文章も読んだことがあるけど、ピーズの音楽は、優しくて真面目で気が小さい普通の人が描いた私小説ロックよね、僕が言うならば。

でもハルがファンたちに愛され、しかも優れたアーティストであるゆえんは、その私小説を皆が読める形にしてひとつひとつの作品として昇華する能力を持っているという事。それが皆の心の中にある、弱くてちっぽけでありふれた感情と触れ合い、ささやかだけどとても綺麗な円環を描く。

 

ハルがこの曲で描いた風景は、儚いけれどとても美しく、ある種のひとにとっては切実でかけがえのない風景だ。もちろん僕にとってもね。

 

 

 

 

 

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