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Category: 徒然草 (page 1 of 5)

日が暮れても彼女と歩いてた

 

 

現実逃避第二弾。

件の試験まで10日を切り、まあ正直仕上がりは順調なんだけど、「絶対に落ちることが許されない試験」に挑むというのも心理的に結構なプレッシャーで。ちょっと一息つきたいなあ、と。今月一本も記事書いてないしなー。

 

 

最近以前にも増して妻との喧嘩が増えた。
若い頃の僕はウルトラスーパーダメ男で、当時の喧嘩の原因はいつも100%僕にあったが、流石にこれじゃまずいよなあとダメ男を返上してからの喧嘩はまあ原因はいつも同じで、僕の中には僕なりに正当な理由があって悲しくなって腹を立てる。
その理由を(多分妻よりも)理解している娘はもう慣れたもので、言い争いが始まるとさっと二階の自分の部屋に上がっていき、それが落ち着くと下に降りてきて、ソファでぐったりしている僕に何事もなかったように話しかけてきたりする。

が、心の優しい息子はそれが結構ストレスなようで、昨晩もやんわりと、しかししっかりとした態度でいいかげんにしろ、とたしなめられた。
そんな息子の説教を体育座りで聞きながら、申し訳ないなあと思いつつ、オレも別に言い争いしたくてしている訳じゃないんだよなあ、と心の中で独りごちた。
悪いなって、申し訳ないなあって思ってるよ、器量の小さい父親で。でもそれがおとうなんだよ。

でもやっぱりよくないね、こういうの。

 

 

はなから無いものを欲しがったところでそれを得られる訳がないことくらい頭では分かっているつもりなんだけど、それでも期待してしまうのだろうか。

いや、期待というのとも少し違うと思うけど、いずれにせよそんなに物分かりがいい人間なのだったらいい歳こいてバイクになんか乗ったりしないし、ロックなんて音楽に執心したりもしていないのだ。

 

それが僕の器量だという事なんだろうね。僕は大人だけど、立派な大人なんかではないという事なんだろう、きっと。

状況はそのまま受け入れられないけど、自分がどういう人間かという事は少しだけ分かった気がする。

 

 

 

 

何にも言わない
ウチには帰らない
彼女と歩いてた

日が暮れて 河を見て
橋の上を電車が通る

とりあえずブラついてよう
さみーから酔っぱらっていよう
いーよな 会いたかったよ

日が暮れても彼女と歩いてた

みんなどんな顔してたっけ
ひとりづついなくなったんだ
ほんで最後は二人で
飽きるまでずっといたのさ yeah
みていたい まだみていたい
何にもみあたらねーや
オラ夢の中なんだ

どこの誰が 本当ににしあわせなんだろーか
冷たいヤな奴も
体だけはあったかいだろーや
一体あれは何だったんだろーか
いつまでも おぼえてる
クサりながら おぼえてる

何にもいらない
ほかにはいらない
彼女がまだそこにいればいーや

日が暮れても彼女と歩いてた

Theピーズ 「日が暮れても彼女と歩いてた」 作詞・作曲 大木温之

 

Theピーズの大好きな曲。

オフィシャルの音源で聴けるこの曲は3テイクある。アルバム「とどめをハデにくれ」に入っているオリジナルテイク、’97年の活動休止までの音源から選曲されたベストアルバム「ブッチーメリー」に入ってるライブテイク、小説家の絲山秋子さんが書き下ろした小説「逃亡くそたわけ」の中でこの曲を含めてピーズの何曲かの歌詞を引用し、後に小説が映画化された時に再録された2007 Version。
どのテイクもそれぞれに味わい深いのだけど、シェアしたのは2007 Ver.だ。恐らくバンドとして最も脂がのった時期の演奏だけあって聴きごたえは一番ある。

ちなみに絲山さんの小説のなかでこの曲は、この曲を引用したかったから小説を書いたんじゃないか、などと想像してしまうくらいいい場面で、ものすごい筆致で書かれている。引用するような野暮はしないけど。この曲が好きな人は是非一読をおすすめします。

 

酔っぱらって聴くピーズはいつだって最高で、よくリビングでも流していたから子供たちもこの曲のことは知っていて。
娘なんかは「おとう、この曲LINE Musicに上がってたよ、ウケた」とか言いながら鼻歌でサビのメロディを歌ったりする。それを聞いた僕ははっとして、それからはヘッドセットで聴くことにした。中学生の女の子はまだ知らなくてもいい風景だ。

 

ハルは、知っている人も多いと思うけど玄人筋からの評価も高い人だ。彼のことを「人生のパンチドランカー」などと表現した文章も読んだことがあるけど、ピーズの音楽は、優しくて真面目で気が小さい普通の人が描いた私小説ロックよね、僕が言うならば。

でもハルがファンたちに愛され、しかも優れたアーティストであるゆえんは、その私小説を皆が読める形にしてひとつひとつの作品として昇華する能力を持っているという事。それが皆の心の中にある、弱くてちっぽけでありふれた感情と触れ合い、ささやかだけどとても綺麗な円環を描く。

 

ハルがこの曲で描いた風景は、儚いけれどとても美しく、ある種のひとにとっては切実でかけがえのない風景だ。もちろん僕にとってもね。

 

 

 

 

 

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件の試験まで残りひと月を切り、正直blogなんて書いている場合じゃないんだけど、無性に書きたくなって更新です。テスト前になると部屋の片付け始める中学生みたいだね。まー精神年齢、あの頃とあまり変わってない気がするし、そういう事なんでしょう、きっと。
今年の秋は気持ちよく晴れた日が多く、湿度も低く空気も澄んでいるから岩手山もよく見える。今年の秋はいい秋だ。

 

日曜日、お世話になっているショップのツーリングがあって、SRで遠野まで行ってきた。天気にも恵まれて、紅葉がぼちぼち始まった岩手路をまあ気持ち良く走れて楽しかった。詳しくはこちら(ショップのblogに飛びます)。
つーか勉強しろよお前。

 

 

 

 

ツーリングの休憩中なんかも感じたんだけど、やっぱり僕は若いコが好きなんだな。SR仲間に大学受験を5浪中、という豪快な生き方してるバカ(褒めてます)が居るんだけど、もう滅茶苦茶可愛くって。つーかおめー今年こそは受かれよ、受かっちゃってから心置きなく遊ぼうぜ、とか奴の肩をグーでぐりぐりしたりしてじゃれてた。

 

若いコって、これからじゃない?何もかもが。まあ人生楽しい事も多いけど辛かったり悲しかったりする事もたくさんある、努力して報われる事もあればいくら強く願っても叶わない想いもある。でもそういうのも全部ひっくるめて、僕みたいな薄汚れたおっさんから見るとみんなキラキラ輝いてるんだよな、眩しいくらいに。どんな人でもね。
そういうの見ると、何かが胸にこみ上げてくる。何と言えばいいのだろう?敢えて言葉にするならば、それぞれにそれぞれの人生をより良く全うして欲しいな、という気持ちなんだけど。

何故そういう想いが自分の胸にこみ上げてくるのかは分からない。でも、若いコを見ている時はいつもはっきりと感じる。以前書いたBAD HOPの境遇を知った時に感じたのも同じ種類の感情だった。
まあ日々自分の子供たちを見ている時に一番感じるんだけど。

 

このグローブ、いいでしょ?映画「アウトサイダー」だね。ステイ・ゴールド。
え?僕、あの映画のダラスみたいな立ち位置なんだろか?いや、そんなにカッコ良くないか。

 

 

 

 

今年の春に、僕は物理的に、いわゆる「実家」をなくし、夏に精神的にそれをなくした。ビルディングを解体する時に爆破してやるやり方があるでしょう、あんな感じに、それまでそこにあったと思っていたものががらがらと崩れ落ちた。他人事みたいに書くけど、それはそれは見事な壊れっぷりだった。
48年間生きてきた基盤みたいなものが跡形もなく崩れ去る、というのは、実際にしてみるとなかなかパンチの効いた経験で。その様子を傍らで見ていた妻でさえすっかり僕に同情していたから(かなりのレアケース)、すっかりノックダウンされて仰向けに倒れた僕が特段に弱いというわけではないと思う。

今改めて振り返ってみると、自我が目覚めた辺りから、僕には”Home”なんて無かったよなあ、とも思うから、考えようによってははなから無かったものを、さも実在するかのように取り繕っていた糸がほどけただけなのかな、という気もして、よく考えてみればこんなんその辺に転がっている犬も食わない三文芝居だな、とも思えたから、一日強い酒を飲み続けて荒れて、一週間くらい落ち込んで、あとは忘れる事にした。

 

いや、三文芝居を大根役者なりに一生懸命演じていたんだけど。でも、なくなってしまったものの事をああだこうだ考えても仕方ないのだ。大事なのはこれからどう生きるか、だ。

 

さっき”Home”って書いたけど、丁度いい日本語を思いつけなかったんだよね、家族、違う、我が家、ダメだ、家庭、うーん。絆、全然ダメ。
僕が想像したのは、何と言うのだろう、居場所、みたいな物理的なものじゃなく、こころの中にある原点、というか、野球のホームベースみたいなもの、というか。ただの五角形の白い板なんだけど、それがなければ試合も出来ないもの、というか。
意味合い的には「ふるさと」という日本語が一番フィーリングに合うだろうか。まあ僕には故郷もないのだけれど。

うまく言えないけど、まあとにかく、せめて自分の子供たちにはしっかりとした”Home”でありたいなあ、と改めて思ったんです。騒動のあとの逡巡の結果ね。

 

ふたりの子供たちは、これから先も自分の人生を生きる。出来るところまではサポートするけれど、一挙手一投足まですべてに面倒を見ることができる訳では当然ない。
ましてや、いつかは自立してひとりで人生という旅路を歩いていかなくてはならない。と言うか、そうやって歩いて行くことこそが子供たちの人生だ。

 

それを、喜んだり悲しんだり、やきもきしたり冷や冷やしたりしながらもずっと見守ってあげることがふたりの父親たる僕の人生だし、それこそが”Home”の役割なのかな、なんて思う。
帰属しないし、依存しない。でもそれぞれのこころの中には確固としてある。すごく微妙で、絶妙な距離感。お前それちゃんと出来てんの?と聞かれれば、正直自信はない。でもトライはしたいし、しているつもり。奴らはなんて思ってるかわかんないけどさ。

 

そう、だから、ここで言う”Home”は物理的なものではない。でもとても大事な事なんだとも思う。正直書きたい事を書けている気はあまりしないんだけど、読んでくれている人には伝わるかなあ。伝わるといいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つがいの小鳥

人気のない山の中に通るまっすぐな道、肌で感じる暖かくて新しい風。僕の住む岩手県にも遅い春がようやくやってきた。
岩手の冬は長くて厳しい。だから、継続して続けていた事をたくさん、冬の時期に中断せざるを得ないんだよね。バイク、スケボー、ランニングetcetc…
でも冬には冬の楽しみ方があって、僕もスノーボードを(ほんの少しだけ)嗜むんだけど、ここ3年くらいゲレンデに行ってない。冬の期間は仕事が忙しく、それでも昔は疲れた身体に鞭を打って滑ってたんだけど、体力も落ちているんだろうな、最近は休みの日は身体を休める為だけに使っていた。今年の冬なんてそうでもしなければ仕事に向かう集中力をとてもじゃないけど維持出来ない位忙しかったしね。
まあこの生活環境はまもなく見直す予定なので、そうしたらまた滑りに行けるかな。

まあそんな訳で、晴れた休日にはベスパでSRで走り回っております。画像は先週かな?八幡平方面に走りに行った時のもの。気持ちよかったなあ。

 

その日のブランチは八幡平市大更の老舗、丸初食堂。前から行ってみたかったんだけどようやく行けた。
走りに行く時は昼前にベッドを出てからなので、どうしても食事と絡めたコース取りになってしまう。まあただただ走り回るよりは目的地があった方が走りやすいってのもあるんだけどね。

 

チャーシューメンを頂きました。素朴な味。厚切りなれどホクホクに柔らかいチャーシューは絶品。
が、その時お店にいた僕以外のお客さんは全員味噌ラーメンを食べてた。そっちの方が人気なのかな。次行った時は是非味噌ラーメンを食べよう。

 

 

前にも書いた通り、お袋が今までの住まい(僕の、いわゆる実家でもあった)を引き払い、交通の便のいいマンションに引っ越した。
卒業証書やら学校の通知表やら、処分しにくいものを結構な数、僕の家に持ってきたんだけど、その荷物の中に入っていた一枚の写真。
見た瞬間に「うわぁ」と声が出た。

 

純真無垢なふたりの子供とグレた父親。

 

写真の日付は2007年の大晦日。10年前だね。実家の近くの沼にて。心も暮らしも一番荒れてた頃だね。荒んでたなあ、今思い返しても。
これ撮ったの、死んだ親父なんだよね。この日妻は仕事で別行動だったのを覚えているので間違いない。
シャッターを押す心境も複雑だっただろうなあ、なんて思いもよぎる。でもスナップ写真が好きだった親父が撮っただけあって、なんというか、我が家の親子の関係性みたいなものが見事に写し出された、なかなか奥行きのある写真だ(「いい写真」とは僕には言えないけど)。思わず見入ってしまった。

 

 

ふたりの兄妹は、小さかったこの頃からつがいの小鳥のようにとても仲がよかったんだけど、それは今もって変わっていない。
息子はこの年になるまで(きっとこれからも)、妹に対して手を上げるどころか声を荒げた事もないと思う。優しい男だからね、とても。外出から帰った時に、家にいるはずの妹が居ないと「あれ?あの人はどこに行ったの?」と、ほぼ必ず聞いてくる。

娘は娘で、そんな優しいお兄ちゃんが大好きで、息子の愛情を全身にまっすぐに受けてこの歳まで大きくなった。「私の尊敬する人」という題目が与えられた作文に書くのは当然兄の事だ。
先日、息子は語学研修と銘打つ学校の行事で2週間ほど海外に行っていたんだけど、ツンデレ気味に寂しがっていたのが笑えた。こんなに長く離れた事なかったからね。

そして研修を終えて帰宅して、妻が作っていた豚汁を野暮ったい仕草で食べる兄を、頬杖をつきながらテーブルの反対側から眺める娘の眼が、少女マンガの登場人物みたいにキラキラしているのを僕は見逃さなかった。

こんな感じね。

 

 

少し前の話だけど、晩の食卓の席で息子が突然「俺はサラリーマンにはなりたくない、第一次産業に関わる仕事がしたい」と宣言して家族を唸らせた。
良く話を聞くと、息子が言うサラリーマンとは、人と関わって仕事を進めていく職種を指しているようで、要は、それよりは自然や動植物と主に関わる仕事がしたい、という事のようだ。
息子のパーソナリティを考えるとそれは本人にとても合っていて、おう、頑張ればいいじゃない、なんて返事したんだけど。第一次産業ってとても大事な仕事だしね。

我が家の子供達は、ビシっとスーツを着込んでタフなネゴシエーションをビシバシこなす企業戦士、みたいな父親は知らないからね。知っているのは、髪を伸ばし、バイクに乗ってたまにギターをぽろぽろと弾き、夜になるといつも酔っ払っている正体不明の野良人間の姿だ。
そんな父親像が、息子の将来の目標に多少なりとも影響したのなら父親冥利に尽きるけどね。教師にしろ反面教師にしろ、ね。

 

好きに生きればいいんだよ、人生なんて。自分の考えた通りに。
万人になんて愛されなくてもいいし、光るところなんてひとつあればいい。あとはそれを大事に磨き込めばいいんだ。
というかむしろ、積極的にやりたいことをやって好き勝手に生き散らかして欲しいな、と思う。ロクな父親じゃなかったかも知れないけど、今はそういうの受け止めてあげる位の度量は持っているつもりだしね。だし、自分の残りの人生全部使ってでもそれをサポートしてあげたいとも思うし。

なんて事を、10年前に親父がシャッターを押した写真を見ながら考えた。

 

 

…なんか、もっと違う感じで書きたかったんだけど、昨日、となりの国であった歴史に残る出来事を、仕事中だったもんでTwitterのTLに流れてくる画像と動画で眺めながら書いてたらなんかおかしなテンションになっちゃって。変に感傷的な文章になっちゃった。
今の気持ちを表現する事を誰かが書いた曲に託すなら、この曲以外に考えられない。「時代は変わる」。そう。少しずつかも知れないけど、確実に時代は変わっていく。
数年前に国会前に行った時も頭の中ではこの曲が流れてたのを覚えている。あの時からも少しは変わったと思う。時代も、自分自身も。

今回の出来事が、より多くの人にとっての幸せを導く事を願っています。割と真剣に。

 

 

 

 

 

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