今年は秋口から初冬までとても暖かくて、今年は前評判通りの暖冬なのかな、と思っていたんだけど、12月に入ってからは例年通りの寒さ。
先週末、週間予報を見たら今週はめちゃくちゃ荒れるみたいだったので覚悟していたんだけど、昨日は朝起きたら外は一面の銀世界。えー、一晩でこんなに降ったんだ!と驚くくらいの量の雪が積もっていた。
家の裏に停めてあるハンドチェンジ・ブラザースもすっかり雪に埋もれている。

朝の7時の時点ではまだまだ湿った雪がバンバン降っていた。20cmくらい積もったのかなー?時間があるうちに物置の片付けとかしたいんだけど、この雪じゃ何も出来ない。
なので、所用や晩の買い物を午前中のうちにやっつけてしまい昼からは家にこもることに。



 

ウガガさんに発注していたワッペンが届いてたんだよね。
このワッペン、カッコいいでしょう?これピアジオ純正なんですよ、以前一度入荷した時にすごくいいな、と思って、あー何かのついでに買おうとかのんびり構えていたら売り切れちゃって。

やっぱり何かのついでとかヨクナイ、とかなり後悔したんだけど後の祭り。パーツならともかくこれはグッズだし、再入荷はないだろうなーと悲しんでいたらなんと奇跡の再入荷。もう速攻発注をかけた。タブレットの画面割れるんじゃないかって強さで「カートに入れる」ボタン押した。

…今回の発注の「ついでに」いつか買おうと思っていた商品も一緒に注文したのは内緒にしておきたい話。まあ僕、小市民なんでね。いつも色々すいません。



それをキャップに縫い付けるのだ。
家の外の大雪を尻目に、晩飯の豚の角煮を煮込みながら、bluetoothのスピーカーで音楽流しながらのんびり作業する。

晴耕雨読だね。北国、特に北東北以北に住んでいる人間は、ウィンタースポーツをやるか、こういう時間の過ごし方を会得するかしないと冬季間の時間を持て余す。
だってこんなに雪が積もったら、ランニングはおろか散歩も出来ないんだよ。西の方に住んでいる人には想像もできないだろうけど、それはそれは閉ざされた時間なんだ、北国の冬は。

布用のボンドで貼り付けたあと、マチ針で位置決めをしてワッペンがズレないようにして縫い付ける。
なんかマチ針の刺し方も間違っている気がするんだけど、それこそ縫い物とか全然わかんないしねー、針の先がチクチクと指に刺さるけど気にせず淡々と縫う。



で、完成です。
んーなかなかやねー。
 



 

キャップはOTTOのスナップバック。かなりイケてるシルエットで気に入った。
メッシュキャップと一口で言ってもホント色んなボディがあって、ここ20年超で両手両足の指の数じゃ余裕で足りないくらいのキャップ被ったけど、配色やプリントがいくらカッコよくても、ほんの数mmの角度や高さや形の違いとかで「なんか違うなー」と感じるキャップの方が断然多くて。やりすぎていたり足りなかったり。
経年変化でヨレる前にヘタっちゃったりね。メッシュキャップ道は奥が深いのだよ。

このOTTOのキャップはクローゼットに眠っていたのを先日発掘し、直後に件のワッペンを見たときに、あーこれ、あのキャップに貼ったら絶対カッコいい、とひらめいた。
タイミングがうまく合ったんだね。こんなにカッコいいキャップが出来たのも何かの巡り合わせなんだろう。



 

キャップとワッペンを発端にしてちょっと話は飛ぶのだけど。

僕は神様も仏様も全く信じていない。おみくじや占いも嫌いだし、スピリチュアルな話も正直好きではない。
でも、奇妙で絶妙なタイミングとか、運命みたいなものは信じていたりする。理論や理屈では説明できない不思議な力を感じる時が、生きていると多々ある。
それは理論や理屈では本当に説明できなくて、軽く、ああオレラッキー、で済ませられるものから、よく考えると背筋が寒くなるものまで、それはポジにもネガにも作用して、僕たちの人生は半ばそういうものに導かれている、と感じる時がある。

「それ」が何なのかは僕には分からない。はっきりと感じるけど、その正体が何なのかは分からないのだ。
なので、その部分について僕は分からないままにしておいている。


反面、何故分からないのか、という事の理由は分かっていて、それは恐らく「信仰」が無いから。絶対なものとして信じるものがないから、オーマイゴッド、でカタが付かないから、僕たち日本人は時に迷い、惑う。人間そんなに強くないのだよ。

物事を分からないままにしておく、答えを出さずにおく、というのは、実際にしてみるとすごくパワーが要る事で、僕を含む少なからずの凡人はその辛さに耐えられずに安易に物事の答えを出そうとする。
将来に対する漠然とした不安、満たされない不満、色恋における相手の気持ちetcetc…。





元号が平成のうちに書いておきたかったのだけど、そういう事が見事に象徴された出来事が、オウム真理教をめぐる一連の出来事だったのではないかと僕は考えている。

重大な罪を犯した信者の多くは、高学歴の、知能レベルの高い人たちだったと聞く。僕の想像だけど、時代に惑い、人生に悩み、運命の不条理に耐え切れず、心底困り果てた挙句にたどり着いたのが安っぽい「信仰」だったのだろう。

いや、本人達はインチキに気付いていなかったんだと思う。というか、当人達にしてみれば、それが本物に見えたからこそそれに身も心も捧げたのだろう。信仰のフィルターを通せば全ての不条理に対して答えを出せたのだろう、その全能感はさぞ気持ちのいいものだったのかなって事は僕なりに想像がつく。まあ当の教祖さまはハリボテもいいところだったんだけど。

そうやって散っていった無垢で愚かな魂には、合掌を捧げることしか出来ないけど。

だし、恐れ多くもあの出来事を他山の石とさせてもらえるのならば、生きるということの一面は、自分の人生を自分の責任において、危うさや不確かさを抱えたままに強さを持って全うする事だと自覚する事なんじゃないのかな、と思う。
 


タイミング、と言えば。
無職で暇だから、実際に買い溜めていた本も読んでいる。これは夏くらいに買った本かな、名著「ロング・グッドバイ(長いお別れ)」の5年後に刊行された、次作(寡作な方だったらしいね)にして、チャンドラーの遺作。
ラスト数頁が「長いお別れ」の続編の体になっていて、まあそういうの全然知らずに古本屋で目について買ったのだけど、あまりに衝撃的な終わり方に、えーーーーーーーマジか、と声が出た。こりゃ確かに問題作だ。

なぜそんな衝撃の展開をこの時期に読まなければならないのか全く意味が分からなかったけど、それが「タイミング」の妙なんだろうなー。ひー。

 

 

一部では有名な動画。
なんかくどい事書いちゃったんで、口直しにワイルドな奴でスッキリしてください。
モーターヘッドの名曲Ace of Spadesに、映画Mad Maxの名シーンをコラージュにして重ねた奴。
著作権の関係でなのか、たまに見られなくなったりもしたんだけど、ここ数年は安定して観ることが出来る。
モーターヘッドのハイボルテージ・ロックンロールとMad Maxの世紀末的世界観は相性が良くて、うおーオレも爆走してー、狂い咲きてーという気分になる。
ある種のR&Rとアクション映画の正しい使い方だね。