件の試験まで残りひと月を切り、正直blogなんて書いている場合じゃないんだけど、無性に書きたくなって更新です。テスト前になると部屋の片付け始める中学生みたいだね。まー精神年齢、あの頃とあまり変わってない気がするし、そういう事なんでしょう、きっと。
今年の秋は気持ちよく晴れた日が多く、湿度も低く空気も澄んでいるから岩手山もよく見える。今年の秋はいい秋だ。

 

日曜日、お世話になっているショップのツーリングがあって、SRで遠野まで行ってきた。天気にも恵まれて、紅葉がぼちぼち始まった岩手路をまあ気持ち良く走れて楽しかった。詳しくはこちら(ショップのblogに飛びます)。
つーか勉強しろよお前。

 

 

 

 

ツーリングの休憩中なんかも感じたんだけど、やっぱり僕は若いコが好きなんだな。SR仲間に大学受験を5浪中、という豪快な生き方してるバカ(褒めてます)が居るんだけど、もう滅茶苦茶可愛くって。つーかおめー今年こそは受かれよ、受かっちゃってから心置きなく遊ぼうぜ、とか奴の肩をグーでぐりぐりしたりしてじゃれてた。

 

若いコって、これからじゃない?何もかもが。まあ人生楽しい事も多いけど辛かったり悲しかったりする事もたくさんある、努力して報われる事もあればいくら強く願っても叶わない想いもある。でもそういうのも全部ひっくるめて、僕みたいな薄汚れたおっさんから見るとみんなキラキラ輝いてるんだよな、眩しいくらいに。どんな人でもね。
そういうの見ると、何かが胸にこみ上げてくる。何と言えばいいのだろう?敢えて言葉にするならば、それぞれにそれぞれの人生をより良く全うして欲しいな、という気持ちなんだけど。

何故そういう想いが自分の胸にこみ上げてくるのかは分からない。でも、若いコを見ている時はいつもはっきりと感じる。以前書いたBAD HOPの境遇を知った時に感じたのも同じ種類の感情だった。
まあ日々自分の子供たちを見ている時に一番感じるんだけど。

 

このグローブ、いいでしょ?映画「アウトサイダー」だね。ステイ・ゴールド。
え?僕、あの映画のダラスみたいな立ち位置なんだろか?いや、そんなにカッコ良くないか。

 

 

 

 

今年の春に、僕は物理的に、いわゆる「実家」をなくし、夏に精神的にそれをなくした。ビルディングを解体する時に爆破してやるやり方があるでしょう、あんな感じに、それまでそこにあったと思っていたものががらがらと崩れ落ちた。他人事みたいに書くけど、それはそれは見事な壊れっぷりだった。
48年間生きてきた基盤みたいなものが跡形もなく崩れ去る、というのは、実際にしてみるとなかなかパンチの効いた経験で。その様子を傍らで見ていた妻でさえすっかり僕に同情していたから(かなりのレアケース)、すっかりノックダウンされて仰向けに倒れた僕が特段に弱いというわけではないと思う。

今改めて振り返ってみると、自我が目覚めた辺りから、僕には”Home”なんて無かったよなあ、とも思うから、考えようによってははなから無かったものを、さも実在するかのように取り繕っていた糸がほどけただけなのかな、という気もして、よく考えてみればこんなんその辺に転がっている犬も食わない三文芝居だな、とも思えたから、一日強い酒を飲み続けて荒れて、一週間くらい落ち込んで、あとは忘れる事にした。

 

いや、三文芝居を大根役者なりに一生懸命演じていたんだけど。でも、なくなってしまったものの事をああだこうだ考えても仕方ないのだ。大事なのはこれからどう生きるか、だ。

 

さっき”Home”って書いたけど、丁度いい日本語を思いつけなかったんだよね、家族、違う、我が家、ダメだ、家庭、うーん。絆、全然ダメ。
僕が想像したのは、何と言うのだろう、居場所、みたいな物理的なものじゃなく、こころの中にある原点、というか、野球のホームベースみたいなもの、というか。ただの五角形の白い板なんだけど、それがなければ試合も出来ないもの、というか。
意味合い的には「ふるさと」という日本語が一番フィーリングに合うだろうか。まあ僕には故郷もないのだけれど。

うまく言えないけど、まあとにかく、せめて自分の子供たちにはしっかりとした”Home”でありたいなあ、と改めて思ったんです。騒動のあとの逡巡の結果ね。

 

ふたりの子供たちは、これから先も自分の人生を生きる。出来るところまではサポートするけれど、一挙手一投足まですべてに面倒を見ることができる訳では当然ない。
ましてや、いつかは自立してひとりで人生という旅路を歩いていかなくてはならない。と言うか、そうやって歩いて行くことこそが子供たちの人生だ。

 

それを、喜んだり悲しんだり、やきもきしたり冷や冷やしたりしながらもずっと見守ってあげることがふたりの父親たる僕の人生だし、それこそが”Home”の役割なのかな、なんて思う。
帰属しないし、依存しない。でもそれぞれのこころの中には確固としてある。すごく微妙で、絶妙な距離感。お前それちゃんと出来てんの?と聞かれれば、正直自信はない。でもトライはしたいし、しているつもり。奴らはなんて思ってるかわかんないけどさ。

 

そう、だから、ここで言う”Home”は物理的なものではない。でもとても大事な事なんだとも思う。正直書きたい事を書けている気はあまりしないんだけど、読んでくれている人には伝わるかなあ。伝わるといいなあ。