先日、48歳になった。

GWに帰省した先でお袋と大喧嘩して、家に帰って来たら来たで妻と大喧嘩。なんでオレはこうなんだ、と凹んでいたら、それを見兼ねた訳でもないんだろうが、息子が小遣いで誕生プレゼントを買って僕に贈ってくれた。

優しい奴だよホント。こんないい男いない。それに幾らか励まされ、妻と娘に僕が今置かれている状況を少しだけ話したら気分も多少落ち着いてようやくフラットな気持ちでキーボードに向かえる様になった。けど、地獄のようにヒリヒリしたメンタルのGW明けだったなあ。

もういい歳なんだからもう少し強くならないとな、とは思うのだけど、生来の器量なんてそうそう変わるモンでもないんだろうね。これでも少しづつは変わっているとは思うんだけど、歯がゆく思う事も多い。
こればかりは焦っても仕方ないんだろうけど。

 

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僕は年齢的に言えば人生の折り返し点はとうに過ぎていて、これからどういう生活を送るか、真剣に考えなければならない時期にある。
そういう事について、実は数年前から少しづつ準備を始めていた。人生の終盤をいかに生きるか、についての僕なりの準備だ。ふたりの子供にきちんとした教育を受けさせ、世に送り出し、さらに自分が老いてから必要以上にふたりに迷惑をかけない備えをする事。書いてしまえば簡単な事だけど、実際にやるとなると今の世の中では中々に難しい。

特に年が明けた辺りからは具体的にその事に関わってくれる人も何人か出来、いやーやっぱり出来ませんでした、じゃ済まない状況になってきている。
直接窓口になってくれている人は、僕の顔を見るたびに「おー頑張ってるか?いいか、事故、揉め事、喧嘩、全部ダメだからな、分かってるな?よろしく頼むぞ!」と言ってくる。
うっす、分かってます、よろしくお願いします、と返すものの、正直に言うとその件でも最近はかなりナーバスになっている。

先日、書類の類は苦労して全て集め終えたから、簡単な話、後は時期が来るまで家の中に引き篭もってじっとしていれば済む話ではあるのだ。ただそれでは生活が立ち行かないし気も滅入るから、仕事にも出るし気分転換にバイクにも乗る。

ただ、弱ったメンタルのせいもあるのだろうが、流石にバイクで遠出をする気分じゃなくなってきた。いくら気を付けていても万が一があるのが世の常だ。運転に関しては自信も自負もあるけど、避けられるリスクは避けたい。ここで失敗をしでかしたら、僕の家族だけではなく多くの人に迷惑がかかる。
ちょっとまだ、敢えてボカして書かざるを得ないんだけどね。

 

なので、2台の単車は最近はもっぱら、精々隣町のラーメン屋まで行くアシとして程度の活躍しかしていない。あ、ベスパは通勤にも使ってるか。でもその程度。

 

ここ数年の新年の抱負が無理しない、だったり、頑張らない、だったり、柄にもなく元旦に神社で安全祈願をしたりしてたのは実はこの事があっての事だったのだ。

 

たまに食べる美味しいラーメンが今の僕のストレス解消法。

 

美味しいラーメン、大好き。

 

でもなあ、あまり縮こまってばかりいるのも面白くないし、気分もだいぶ良くなってきたから、天気のいい日に安全な道を選んで遠出するかも。岩手は今が一番いい季節だからね。
正直プレッシャーはきついけど、何とかやり抜けるんじゃないかという自信もあるんだよね。根拠ないけど。でも、今までだってヘビーな状況を何度もかいくぐって来てるしね、そこは自分を信じるしかない。まあぼちぼちやります。

 

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以前動画をシェアしたDrop’sのヴォーカル、中野ミホさんのソロライブ。
この曲もすごくいいね、誰かに褒めて欲しいって、ある種の人間にとっては根源的な欲求だと思う。使ってるギターはギルド。渋い。
しかし中野ミホさん、パワフルな歌だな〜。すごく痩せてて背も小さいのに、それを全然感じさせない存在感が凄い。大好きなシンガーです。

 

「転がる石には苔むさず」

 

あの記事で、僕はDrop’sというバンドがカッコいい、という事を足がかりにして僕なりの芸術についての所感を書いた。
その後、別の記事にディランの歌を貼り付けてそれを翌日読み返した時にこの言葉を思い出し、その瞬間に全身から汗が吹き出した。失言に気付いた時にかくのと同じ種類の汗だ。

なんという事だ。こんな根本的な事を忘れていたとは。

あの記事で、僕は決定的な部分で決定的に誤った記述をした。
個々の作品が僕にとっての杭になることはあっても、芸術家その人自身が杭なのでは決してない。そんな事は基本のキじゃないか。いや、もちろん人そのものがあの文章で書いたような杭の様に、芯のある、ブレない方は多くいるし、そういう人に僕は敬意を払う。でも少なくとも、ロックンロールなんてものに関わる人を表すために使っていい表現では絶対になかった。その類の偶像崇拝が招いた不幸な出来事を僕自身何度も見てきた筈じゃないか。

 

大事な事なので繰り返す。芸術家その人自身が杭なのではない。芸術家が骨身を削ってつくった「作品」が僕にとって杭になる事がある、という事だ。
芸術家その人は全くの自由だ。転がろうが漂おうが。

 

あの記事のあの記述は、恐らくこのblogを始めて以来最大の誤りで、あんな記述をしてしまった自分を心底恥じた。
今更書き直す訳にもいかないので、ここに訂正する事にする。

誤・Drop’sのヴォーカル、中野ミホさんの佇まいにはそんな杭になれる風格が漂っている。
正・Drop’sのヴォーカル、中野ミホさんの佇まいにはそんな杭の様な作品を作る事ができる風格が漂っている。

元記事にも追記しておきました。

 

薄々気付いていたけど、きっと今は僕自身が転がっていないんだろうな。だからこういう文章も無意識のうちに書いてしまう。今日の記事だって前半は流浪とは対極の話だしね。
はぁ。やっぱバイク乗らなきゃダメだな。それが怖かったらせめて自転車に乗ろう。