つがいの小鳥

人気のない山の中に通るまっすぐな道、肌で感じる暖かくて新しい風。僕の住む岩手県にも遅い春がようやくやってきた。
岩手の冬は長くて厳しい。だから、継続して続けていた事をたくさん、冬の時期に中断せざるを得ないんだよね。バイク、スケボー、ランニングetcetc…
でも冬には冬の楽しみ方があって、僕もスノーボードを(ほんの少しだけ)嗜むんだけど、ここ3年くらいゲレンデに行ってない。冬の期間は仕事が忙しく、それでも昔は疲れた身体に鞭を打って滑ってたんだけど、体力も落ちているんだろうな、最近は休みの日は身体を休める為だけに使っていた。今年の冬なんてそうでもしなければ仕事に向かう集中力をとてもじゃないけど維持出来ない位忙しかったしね。
まあこの生活環境はまもなく見直す予定なので、そうしたらまた滑りに行けるかな。

まあそんな訳で、晴れた休日にはベスパでSRで走り回っております。画像は先週かな?八幡平方面に走りに行った時のもの。気持ちよかったなあ。

 

その日のブランチは八幡平市大更の老舗、丸初食堂。前から行ってみたかったんだけどようやく行けた。
走りに行く時は昼前にベッドを出てからなので、どうしても食事と絡めたコース取りになってしまう。まあただただ走り回るよりは目的地があった方が走りやすいってのもあるんだけどね。

 

チャーシューメンを頂きました。素朴な味。厚切りなれどホクホクに柔らかいチャーシューは絶品。
が、その時お店にいた僕以外のお客さんは全員味噌ラーメンを食べてた。そっちの方が人気なのかな。次行った時は是非味噌ラーメンを食べよう。

 

 

前にも書いた通り、お袋が今までの住まい(僕の、いわゆる実家でもあった)を引き払い、交通の便のいいマンションに引っ越した。
卒業証書やら学校の通知表やら、処分しにくいものを結構な数、僕の家に持ってきたんだけど、その荷物の中に入っていた一枚の写真。
見た瞬間に「うわぁ」と声が出た。

 

純真無垢なふたりの子供とグレた父親。

 

写真の日付は2007年の大晦日。10年前だね。実家の近くの沼にて。心も暮らしも一番荒れてた頃だね。荒んでたなあ、今思い返しても。
これ撮ったの、死んだ親父なんだよね。この日妻は仕事で別行動だったのを覚えているので間違いない。
シャッターを押す心境も複雑だっただろうなあ、なんて思いもよぎる。でもスナップ写真が好きだった親父が撮っただけあって、なんというか、我が家の親子の関係性みたいなものが見事に写し出された、なかなか奥行きのある写真だ(「いい写真」とは僕には言えないけど)。思わず見入ってしまった。

 

 

ふたりの兄妹は、小さかったこの頃からつがいの小鳥のようにとても仲がよかったんだけど、それは今もって変わっていない。
息子はこの年になるまで(きっとこれからも)、妹に対して手を上げるどころか声を荒げた事もないと思う。優しい男だからね、とても。外出から帰った時に、家にいるはずの妹が居ないと「あれ?あの人はどこに行ったの?」と、ほぼ必ず聞いてくる。

娘は娘で、そんな優しいお兄ちゃんが大好きで、息子の愛情を全身にまっすぐに受けてこの歳まで大きくなった。「私の尊敬する人」という題目が与えられた作文に書くのは当然兄の事だ。
先日、息子は語学研修と銘打つ学校の行事で2週間ほど海外に行っていたんだけど、ツンデレ気味に寂しがっていたのが笑えた。こんなに長く離れた事なかったからね。

そして研修を終えて帰宅して、妻が作っていた豚汁を野暮ったい仕草で食べる兄を、頬杖をつきながらテーブルの反対側から眺める娘の眼が、少女マンガの登場人物みたいにキラキラしているのを僕は見逃さなかった。

こんな感じね。

 

 

少し前の話だけど、晩の食卓の席で息子が突然「俺はサラリーマンにはなりたくない、第一次産業に関わる仕事がしたい」と宣言して家族を唸らせた。
良く話を聞くと、息子が言うサラリーマンとは、人と関わって仕事を進めていく職種を指しているようで、要は、それよりは自然や動植物と主に関わる仕事がしたい、という事のようだ。
息子のパーソナリティを考えるとそれは本人にとても合っていて、おう、頑張ればいいじゃない、なんて返事したんだけど。第一次産業ってとても大事な仕事だしね。

我が家の子供達は、ビシっとスーツを着込んでタフなネゴシエーションをビシバシこなす企業戦士、みたいな父親は知らないからね。知っているのは、髪を伸ばし、バイクに乗ってたまにギターをぽろぽろと弾き、夜になるといつも酔っ払っている正体不明の野良人間の姿だ。
そんな父親像が、息子の将来の目標に多少なりとも影響したのなら父親冥利に尽きるけどね。教師にしろ反面教師にしろ、ね。

 

好きに生きればいいんだよ、人生なんて。自分の考えた通りに。
万人になんて愛されなくてもいいし、光るところなんてひとつあればいい。あとはそれを大事に磨き込めばいいんだ。
というかむしろ、積極的にやりたいことをやって好き勝手に生き散らかして欲しいな、と思う。ロクな父親じゃなかったかも知れないけど、今はそういうの受け止めてあげる位の度量は持っているつもりだしね。だし、自分の残りの人生全部使ってでもそれをサポートしてあげたいとも思うし。

なんて事を、10年前に親父がシャッターを押した写真を見ながら考えた。

 

 

…なんか、もっと違う感じで書きたかったんだけど、昨日、となりの国であった歴史に残る出来事を、仕事中だったもんでTwitterのTLに流れてくる画像と動画で眺めながら書いてたらなんかおかしなテンションになっちゃって。変に感傷的な文章になっちゃった。
今の気持ちを表現する事を誰かが書いた曲に託すなら、この曲以外に考えられない。「時代は変わる」。そう。少しずつかも知れないけど、確実に時代は変わっていく。
数年前に国会前に行った時も頭の中ではこの曲が流れてたのを覚えている。あの時からも少しは変わったと思う。時代も、自分自身も。

今回の出来事が、より多くの人にとっての幸せを導く事を願っています。割と真剣に。

 

 

 

 

 

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