Joyride

For the people who want to go somewhere, not here!

Month: 4月 2018

つがいの小鳥

人気のない山の中に通るまっすぐな道、肌で感じる暖かくて新しい風。僕の住む岩手県にも遅い春がようやくやってきた。
岩手の冬は長くて厳しい。だから、継続して続けていた事をたくさん、冬の時期に中断せざるを得ないんだよね。バイク、スケボー、ランニングetcetc…
でも冬には冬の楽しみ方があって、僕もスノーボードを(ほんの少しだけ)嗜むんだけど、ここ3年くらいゲレンデに行ってない。冬の期間は仕事が忙しく、それでも昔は疲れた身体に鞭を打って滑ってたんだけど、体力も落ちているんだろうな、最近は休みの日は身体を休める為だけに使っていた。今年の冬なんてそうでもしなければ仕事に向かう集中力をとてもじゃないけど維持出来ない位忙しかったしね。
まあこの生活環境はまもなく見直す予定なので、そうしたらまた滑りに行けるかな。

まあそんな訳で、晴れた休日にはベスパでSRで走り回っております。画像は先週かな?八幡平方面に走りに行った時のもの。気持ちよかったなあ。

 

その日のブランチは八幡平市大更の老舗、丸初食堂。前から行ってみたかったんだけどようやく行けた。
走りに行く時は昼前にベッドを出てからなので、どうしても食事と絡めたコース取りになってしまう。まあただただ走り回るよりは目的地があった方が走りやすいってのもあるんだけどね。

 

チャーシューメンを頂きました。素朴な味。厚切りなれどホクホクに柔らかいチャーシューは絶品。
が、その時お店にいた僕以外のお客さんは全員味噌ラーメンを食べてた。そっちの方が人気なのかな。次行った時は是非味噌ラーメンを食べよう。

 

 

前にも書いた通り、お袋が今までの住まい(僕の、いわゆる実家でもあった)を引き払い、交通の便のいいマンションに引っ越した。
卒業証書やら学校の通知表やら、処分しにくいものを結構な数、僕の家に持ってきたんだけど、その荷物の中に入っていた一枚の写真。
見た瞬間に「うわぁ」と声が出た。

 

純真無垢なふたりの子供とグレた父親。

 

写真の日付は2007年の大晦日。10年前だね。実家の近くの沼にて。心も暮らしも一番荒れてた頃だね。荒んでたなあ、今思い返しても。
これ撮ったの、死んだ親父なんだよね。この日妻は仕事で別行動だったのを覚えているので間違いない。
シャッターを押す心境も複雑だっただろうなあ、なんて思いもよぎる。でもスナップ写真が好きだった親父が撮っただけあって、なんというか、我が家の親子の関係性みたいなものが見事に写し出された、なかなか奥行きのある写真だ(「いい写真」とは僕には言えないけど)。思わず見入ってしまった。

 

 

ふたりの兄妹は、小さかったこの頃からつがいの小鳥のようにとても仲がよかったんだけど、それは今もって変わっていない。
息子はこの年になるまで(きっとこれからも)、妹に対して手を上げるどころか声を荒げた事もないと思う。優しい男だからね、とても。外出から帰った時に、家にいるはずの妹が居ないと「あれ?あの人はどこに行ったの?」と、ほぼ必ず聞いてくる。

娘は娘で、そんな優しいお兄ちゃんが大好きで、息子の愛情を全身にまっすぐに受けてこの歳まで大きくなった。「私の尊敬する人」という題目が与えられた作文に書くのは当然兄の事だ。
先日、息子は語学研修と名打つ学校の行事で2週間ほど海外に行っていたんだけど、ツンデレ気味に寂しがっていたのが笑えた。こんなに長く離れた事なかったからね。

そして研修を終えて帰宅して、妻が作っていた豚汁を野暮ったい仕草で食べる兄を、頬杖をつきながらテーブルの反対側から眺める娘の眼が、少女マンガの登場人物みたいにキラキラしているのを僕は見逃さなかった。

こんな感じね。

 

 

少し前の話だけど、晩の食卓の席で息子が突然「俺はサラリーマンにはなりたくない、第一次産業に関わる仕事がしたい」と宣言して家族を唸らせた。
良く話を聞くと、息子が言うサラリーマンとは、人と関わって仕事を進めていく職種を指しているようで、要は、それよりは自然や動植物と主に関わる仕事がしたい、という事のようだ。
息子のパーソナリティを考えるとそれは本人にとても合っていて、おう、頑張ればいいじゃない、なんて返事したんだけど。第一次産業ってとても大事な仕事だしね。

我が家の子供達は、ビシっとスーツを着込んでタフなネゴシエーションをビシバシこなす企業戦士、みたいな父親は知らないからね。知っているのは、髪を伸ばし、バイクに乗ってたまにギターをぽろぽろと弾き、夜になるといつも酔っ払っている正体不明の野良人間の姿だ。
そんな父親像が、息子の将来の目標に多少なりとも影響したのなら父親冥利に尽きるけどね。教師にしろ反面教師にしろ、ね。

 

好きに生きればいいんだよ、人生なんて。自分の考えた通りに。
万人になんて愛されなくてもいいし、光るところなんてひとつあればいい。あとはそれを大事に磨き込めばいいんだ。
というかむしろ、積極的にやりたいことをやって好き勝手に生き散らかして欲しいな、と思う。ロクな父親じゃなかったかも知れないけど、今はそういうの受け止めてあげる位の度量は持っているつもりだしね。だし、自分の残りの人生全部使ってでもそれをサポートしてあげたいとも思うし。

なんて事を、10年前に親父がシャッターを押した写真を見ながら考えた。

 

 

…なんか、もっと違う感じで書きたかったんだけど、昨日、となりの国であった歴史に残る出来事を、仕事中だったもんでTwitterのTLに流れてくる画像と動画で眺めながら書いてたらなんかおかしなテンションになっちゃって。変に感傷的な文章になっちゃった。
今の気持ちを表現する事を誰かが書いた曲に託すなら、この曲以外に考えられない。「時代は変わる」。そう。少しずつかも知れないけど、確実に時代は変わっていく。
数年前に国会前に行った時も頭の中ではこの曲が流れてたのを覚えている。あの時からも少しは変わったと思う。時代も、自分自身も。

今回の出来事が、より多くの人にとっての幸せを導く事を願っています。割と真剣に。

 

 

 

 

 

検証あれこれ

 

4月ももう第2週。流石にもう大丈夫だろ、って事で日曜日に自家用車2台のタイヤをサマータイヤに交換した。

…すると月曜の未明に雪が降った様で、朝カーテンを開けるとバルコニーの手すりに湿った雪が積もっていた。
僕が洗車するとかなりの確率で翌日雨が降るというのは一部では有名な話なんだけど(昔の日照りの農村に居たらお前神様だよ、とまで言われた事がある)、これは一体何なんだ?僕は相当お天気の神様には好かれていないようだ。

 

タイヤを交換した日は春らしい暖かい日だったので、このblogを書き始めてから後日経過報告します、なんつってしていなかったクルマに関するあれやこれやをまとめてチェックしたのでこの記事にてまとめて検証してみます。

 

まずは16年の4月に交換したキューブのフロントブレーキのディスクローター。ブレーキを踏んだ時にジャダが出て、社外品(DIXCEL)に交換したんだった。
当時の記事を読み返すと、防錆塗装がしてあってグッド、とある。ちょうど2年使った画像がこちら。やっぱり錆びるね。
ローターは鋳鉄製だと思うんだけど、錆びて当たり前な条件に置かれている部品なのでまあ仕方ないかな、という感想。がっつり熱は入るし、水も浴びるからね。
ただ、クルマのホイールの大径化はここ数年でものすごく進んで、今や純正で18inchのホイールとか珍しくも何ともなくなった。ホイールの形状によってはローターの錆びってすごく目立つので、もしかしたら数年後には錆びないローターが純正装着される事になるのかも知れない。

ちなみにこのDIXCELのローターで3万km以上走ったけど、今の所実用上の不具合は一切ない。パッドによって必要以上に削られる事もないしタッチも悪くなく、ジャダも出ない。だから純正部品の互換品としては必要にして十分なのかな、というのがここまで使っての印象です。

 

お次はタイヤ。過去ログによるとローター交換後の5月に交換しているミシュランのENERGY SAVER。3シーズン目という事になる。
乗り心地などに関しては美味しい所は通り過ぎたかな?という印象もあるけど溝はまだまだ深く、十分安全に使える状態。皺のようなヒビも一切出ていない。ライフは長そう。
ミシュランについては、音がうるさい、という話を良く聞くんだけど、我が家のキューブに限って言えば気になるほどではないというのが率直な感想。確かに昔はがーがーうるさいミシュランもあったけど、それに比べれば全然マトモ。ただ音に関しては感覚的なものだからなぁ。

とは言うものの、さほど豊富じゃない経験を基にして言わせてもらえば、レグノ履いたプリウスよりもボディのデッドニングが超絶しっかりしているBFグッドリッジ履いた僕のクラウンの方が全然、と言うか、全く比較にならない位静かだからね、ロードノイズに関して言えば。これ前も書いたかも知れないけど。そういう経験しちゃうとタイヤ替えてノイズ減らすのに血道をあげる気がしなくなると言うか。タイヤに静寂性求めるのって日本だけだって話も聞いた事あるし。それよりはライフとかハンドリングとか値段とかを重視してしまうな、クルマのタイヤに関しては。

というわけで僕は好きなタイヤだな、ミシュランENERGY SAVER。

 

さて交換してから2年と数ヶ月経ったバッテリーはどうか。
キューブに関しては、使用状況が極めてバッテリーに優しい(片道20kmの通勤がメイン)ので今現在不具合は一切出ていない。セルの回りもいいし、インジケーターも緑色の「健康です」表示。
正確には2年と4ヶ月使ったBOSCHのバッテリーはまだまだ使えそうな気配。

 

クラウンに積んで2年と3ヶ月のMAGMA(韓国ATLAS製)も今の所不具合はない。
けど、使用状況が結構過酷なので(片道3kmの通勤メイン、しかもその半分は夜間)たまに10km20分の距離とか走ると直後はセルの周りが良くなる。インジケーターは緑の「健康です」表示だけど、バッテリーにはそれなりに負担がかかっているのだろう。
まあこれは使い方を分析すれば仕方がない事で。夜間はハロゲンのヘッドライト、フォグランプ点灯、テールは4連の白熱球だ。バッテリーから直で引いた電源でサブウーファーも駆動しているし、土地柄で冬期間は半端なく気温も下がる。逆に言えばATLASはこれだけ過酷な使用状況でも2年以上は問題なく使えるという事なんだと思う。

 

最後についこの間JBウエルドで修理したキューブのマフラーの穴塞ぎ。
タイヤ交換のためジャッキアップしたついでに指先で触診して、大丈夫そうだなってんで手を伸ばしてかざしたスマホで画像を撮ったんだけど…これ微妙だね。拡大して良く見てみると剥がれてきているようにも見える。
こりゃ時間がある時に漏れチェックをしっかりしなければ。

JBウエルドって2液性のエポキシ接着剤なんだけど、温度に結構敏感で。この作業をした時は気温は氷点下だったからなぁ。主剤と硬化剤を混ぜる作業は室内でやったし、混ぜる直前までコタツで温めてから作業したんだけど、患部に塗布する時はやはり少し硬かった。マフラー本体も冷え冷えだったしね。
状況を見てもう一度修理を試みるか諦めて新品に換えるか判断しようと思う。

 

 

 

 

 

もし若いあなたがルーツミュージックを探求する旅に出たいと願っているのならば、まずはこのバンド辺りを足掛かりにするといいのかも。ストレイ・キャッツ、ストレイキャット・ストラット。’81年のデビューアルバムに入ってる曲。
音楽性も変に難しくないシンプルなロックンロールだから聴き易いし、何よりも若き日のブライアン・セッツァーのカッコいい事ったら無い。まずは何でも形から入るのは間違いじゃなくて、理屈は後からでもいいんだと思う。

アメリカのバンドなんだけど、結成当時は本国では人気がなく、ニューウェイブで湧くイギリスでデビューして人気が出た後にアメリカに逆輸入されたって話を聞いた事がある。このバンドで人生狂った人、多いんじゃないかなぁ。

 

 

 

 

 

 

陸前高田に行ってきた

 

義弟一家と陸前高田に行ってきた。

詳しくは書かないけれど、病気で寝たきりの生活を送っている義弟は7年前の震災直後に盛岡に来た。家族、奥さんと姪っ子ふたりは震災後もしばらく高田にいたんだけど、数年前に僕の家の近くに越して来て今は家族4人で暮らしている。

そんな義弟から、お義兄さんの運転で、ねえちゃんも一緒に高田に行きたい、というオファーがあったのが2月だったかな。去年の8月にもちょっとだけ書いたけど、時間はだいぶ経ったが高田も随分復興が進んできて、自分が生まれ育った町のそんな様子が見てみたかったのだろう。
断る理由なんてないから快諾して日程を調整、福祉車両のハイエースをレンタルして、僕と妻と義弟一家の6人で先月の31日に日帰りで。義弟は震災後7年にして2回目の帰郷。

 

高速を使うとゆっくり走っても1時間半くらいで着くのかな、半年と少しぶりに来た陸前高田の町は少しずつだけど、かさ上げした土地に更に建物が増えた。今回はちょっと写真も撮ってきたので載せる事にする。

 

中心部に位置するのがアバッセ、と名付けられた商業施設。スーパーや衣料品店、市立図書館などが入っている。
妻によると、あばっせ、とは「行ぐべ」という意味の気仙弁らしい。バリバリの沿岸訛りで教えてくれた。
妻は、盛岡に生活の拠点を移して10数年になろうとするのに未だ気仙弁が抜けない。抜けない、というか、この人はそもそも南部弁を話すつもりがないのだろう。

 

隣接する土地には公園も出来、家族連れが遊んでいた。

 

陸前高田市民に愛される食堂「みつわ」も仮設店舗から移転オープンしたところだった様。

 

でも、建物が建ち始めたのは根こそぎ津波にさらわれてしまった旧市街地のごく一部で、現地に行ってみると更地の方が俄然多いのが良く分かる。というか、かさ上げ工事自体もまだ終わってはいないのだ。
市の行政の中心である市役所だってまだ仮設のプレハブで業務をしている。震災後丸7年経っても暮らしの基盤すらまだまだ出来ていないという事実には、たまに帰るから余計にそう思うのかも知れないけど正直愕然とする。

7年、長いよ。震災当時小学一年生だった姪っ子(僕の娘と同級生)はこの春から中学3年生だ。
工事にお金も手間もかかるのは僕にだって分かる。大変だよ、あれだけの大工事。だから感謝もしている。でも一つだけ言う。東京オリンピック、ありゃ間違いなく被災地の復興の妨げになったよ。
招致が決まった瞬間にゼネコンが一斉に被災地から引き揚げた、という話、知らない人も多いと思うけど本当の話だからね。

 

 

義弟が久し振りに帰るというので、義弟の同級生が30人近く集まったのだけど、これだけたくさんの陸前高田のロコが集まると壮観だった。震災後も土地を離れなかった人たちだ。
僕は少し離れたところでその集まりを眺めていたのだけれど、伝わってくるゆるくて暖かいヴァイブスは昔この土地に暮らしていた時日々感じていたものだった。義弟が帰ってきたがった理由も妻が未だに気仙弁を話し続けている気持ちも少し分かる気がした。
妻が、高田は雪がなくていいなぁ、とつぶやくと、居合わせた親戚がさらっと「んじゃ帰ってきたらいいんだ」と言う。この軽みの中にある懐の深さが、上手く言葉に出来ないけど、ふるさとのふるさとたる所以なんだろうな。

僕の娘と同級の姪っ子の将来の夢は、小学4年生まで暮らした陸前高田の市職員になる事なんだそうだ。そういう誘因が生まれ育った場所、特に都会ではなく地方の田舎町にはある。これは間違いなくある。損得とか効率とか全く関係ないところにね。
だから不便でもなんでもその土地で暮らしてるんだと思う。便利なのがいい、と思う人は都会に出て行くだろう。それはそれでいいさ。ただ、土地に根付いてしか暮らせない人がいるという事も忘れないで欲しいな、と思う。そういう生き方も否定しないで欲しいな、とも思う。

一番いいのは一度実際に足を運んで貰う事なんだけどなー、見ると聞くとじゃ大違い、百聞は一見に如かず。どうすか?今度のGWあたり。いいところっすよ、気仙地区。

 

さっき気付いたんだけど、義弟からお礼のメールが届いてた。流石プロの運転でした、とお褒めの言葉を頂いた。オレも楽しかったからまた行こうね、と返事を書いた。
また行きたいな、ほんと。梅雨前にSRで行ってこようかな。

 

 

 

 

 

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