Joyride

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Month: 7月 2017

Twenty-Seven

ものすごく久しぶりにバイク雑誌なんてものを買った。
お世話になっているバイク屋さんがお店のblog記事を書いてて。Street Bikers’さん、20周年なんだって。
今日び紙媒体を20年も続けるって凄いよね、僕が昔愛読していた別冊モーターサイクリスト(とてもいい雑誌だった)も2年前に休刊したみたいだし、これだけバイクが売れない売れないと騒がれている時勢に。

雑誌の内容は、流石に僕が毎月定期で購読するような内容ではないんだけど(趣味の問題)、それでも周年の企画で編集の方が各々書かれていたコラム的な文章はとても面白かった。
何年も続けていればそりゃ自分にとってバイクとは何ぞや?なんて事を考える時間はたくさんあるのだろうし、しかもそれを20年も、だから。言葉にも重みがありました。

ちなみに画像は特別付録のルイスレザー製のキーホルダー。とても雑誌の付録とは思えないクオリティの造り。

 

そう、20年なのである。20年前、僕は何をしていたかというと、27歳だった。
…え?27歳??27歳!そう、27歳だったのだ。だったんだなーって、店主が書いたblogを読みながらしみじみと思い出した。本当にしみじみと。

 

27歳がある種の人間にとっては特別な年齢であるという事を、昔とあるSNSで書いた事がある。当時あれこれ考える時間だけは沢山あったから、SNSというある種閉じられた空間に由なし事を色々書いたうちのひとつ。
tDiaryでblogを運営していた頃に転載した事はあったんだけど、それ今読めないからね、いい機会なのでここにまた転載する事にする。

 

 

— 

 

 

…もう10年以上前の事になるのかなあ。思い出したくもないから敢えて数えないけど、ある4月の朝、普段新聞なんて読まないオレは珍しく朝食を食いながら新聞を眺めてた。

社会面の下の方、ホントにちいさな記事だったけど、御丁寧に写真入りで、読売新聞は報じてた。

「ロックのコバーンさん、自殺」

ったく、いつもそうだ、普段新聞なんて読まない癖に、たまに読むとこういう憂鬱な記事にブチ当たる。じゃがたらのアケミの訃報も、戸川純の自殺未遂も全部新聞で読んだ。
ニュースなんてクソ面白くない、見たくもない…

 

当時、ロック界は、オルタネイティブ・ロックとかグランジとかと称される、ラウドでソリッドなロックがシーンを席巻していた。その頂点にいたのが、左利きのギタリスト、カート・コバーン率いるNIRVANA。
そのバンドのリーダーの突然の訃報に、ロック界はテンプラ鍋をひっくり返した様な大騒ぎになった。

カートの死についての個人的感想はここでは書かないけど、当時まだ多感なるロック青年だったオレは、暫くして出回った、雑誌の特集をくまなく読んだのだった。当時、インターネットなんて無かったからね、雑誌って大きなメディアだったのよ。

…某R誌の、オレの大好きなライターが、キレた文章を書いてた。略して曰く「ジミ・ヘンドリクスも、ジャニス・ジョプリンも、ジム・モリスンも27歳で死んだ、そして先日、カートも27でこの世を去った。27歳というのは、『人が死ぬ季節』なのかも知れない」。

 

ふうん、そうなんだ。まあ、願掛けの類とか、風水とか、全然信用しないオレだけど、大好きなミュージシャンの突然の死に直面したショックもあったのか、「27歳」という年齢が、自然に心に刻まれた。

 

…その年の年末、大学を留年する事が決まってたオレは、友達が立ち上げた、運転代行の仕事を手伝っていた。クルマも3台しかない小さな会社だったけど、年末だったし、仕事は忙しかった。
ある日、オレは、酷く酔っぱらったオッサンのクルマを運んだ。オッサンは、オレに行き先だけを告げると、すやすやと寝息を立て始めた。

 

…沈黙の中、山形の雪道を、静かにクルマを走らせる。

 

と、眠っていた筈のオッサンが突然口を開いた。

オッサン「おう、兄ちゃん、お前、歳幾つだ?」
オレ「え、オレっすか?22っす」
オッサン「そうか… 男はなあ、27までに自分の一生を決めなければならねえんだ」
オレ「(…ハァ?)」

ふとオッサンの方を見ると、シートを深く倒して、眼は閉じたままだ。
寝ぼけているのか?いや、口調はやけにはっきりしている。

ちょっとビビるオレを尻目に、尚もオッサンは続ける。曰く、
「人間には誰しも無限の可能性がある、そしてその可能性を試す価値は十分にある、でもな、深追いし過ぎると、一生を棒に振る事もある、そのタイムリミットは27歳だ、だから男は27までに一生を決めなければならない」。
ひとしきり話し終えると、オッサンはまた寝息を立て始めた。

 

…また27かよ…身体に震えが来たのは、山形の夜が酷く冷えたからだけじゃなかった。

 

翌年、学校を半ば追い出されるようにようやく卒業したオレは、ロクに就職活動もしないで、クルマの整備工場に勤める。
クルマが死ぬ程好きだったし、何よりも、ネクタイを絞めて働くのが死ぬ程嫌だった。カウンターカルチャーにどっぷり浸かった青春を過ごしたオレには、「皆と同じスーツを着てネクタイを絞める」という行為は、死刑宣告に等しかった。心酔してたポール・ウェラーが言うように「ミスター・ノーマル」にはなりたくなかった、どうしても。

親には勘当され、安月給で朝から晩までのハードな肉体労働。仕事の合間を見て、バンド活動。生活費以外のわずかな金は全部CD代とギターのローンに消えた。エアコンどころか、網戸も無いようなボロアパートに住んで。
それでも楽しかった。好きなものに囲まれて、好きな事をやる生活。充実してたなあ。

…でもね、そんな密月はいつまでも続かなかった。ちょっとしたいざこざに巻き込まれ、バンドは解散、勤めてた会社は左前、おまけにでっかい失恋も同時に経験しちゃったオレは、「大人」になる決意をする。潮時だよ、その時はそんな風に思ったのを覚えてる。

髪を切り、実家に頭を下げて帰り、一年間、猛勉強。見事、世間体のいい「マトモな」仕事に就く。
妹とスーツを買いに行って、フィッティングして貰ってる自分の姿を鏡で見た時「そういやオレ、今年で27歳だったわ」って思い出した。

 

…「大人」の生活、ってのも、悪く無かった。給料は安定してるし、楽だったね、色んな意味で。まあ、大人の世界の汚ねえ部分もたっぷり見せつけられたりしたけど、いい社会勉強だったね、今になって思えば。当時は随分嫌な思いもしたけどね。

でもさ、上手く大人になれなかったんだね、オレは。死に切れなかった。簡単に言えば、刺激の無いルーティンな毎日に嫌気が差し、丁度家庭面のタイミングもいい方に合ったのかな、8年勤めた職場、辞めちゃった。

 

…性なのか、御里なのか。27で死に切れなかったオレは、今日もコンビニの灰皿の前で独りタバコをふかす訳です。
こうやって振り返ってみると、色んな思いが交錯するけど、まあロック的なハイスピード・ライフはオレには似合わんしね、山形のオッサンには機会があったら謝りたいけど。忠告生かせずごめんね、って。

 

それでもさ、27で死んで行ったミュージシャン達よりも、40歳過ぎても曲書き続けてる人の方が好きだから、オレは。

 

「いい曲」、書きたいな、って、思うよ、オレも。これから何があるか分からないけどね、いい生き方したいよ。
なんて、微妙に前向きな今日この頃です。

長文失礼。

 

 

— 

 

 

以上転載終わり。句読点の位置その他ほんの少しだけ修正しました。
これ僕が37歳の時に書いた文章なんだけど、今も心持ちは変わってないな、と思う。そしてこういう過程を経て僕の今がある。事実としてね。
定点観測的に自分でも定期的に読み直したい文章です。

 

 

カートは、自分と自分の周りとの距離感を上手く掴めなかったのかな、と思う。繊細な人だったんだろうな。
思う事は色々あるんだけど、死後20年以上たった今でも気の利いた事書けなさそう。
今日の仕事が終わったら久しぶりに聴きながら酒飲もう。

 

 

 

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ナイトクルージング

今年の岩手の梅雨は本当に空梅雨でさっぱり雨が降らないから、毎日ベスパで通勤している。
湿気もここ2日3日は多少あったけど今までは割と少なく空気はからっとしていて、バイクで走っていても気持ちよかった。日差しのある日中こそ気温も上がるけど、夜になれば涼しさを感じるくらいだ。
バイクは今の時期が一番いいね、凍えるような寒さも無く、かと言って暑過ぎない。真夏は夜でも肌にまとわりつくような湿気を感じるけどそれもないし。

そういう気候もあって、仕事帰りにベスパでその辺をぶらっと回って家に帰るのが最近の習慣になっている。
深夜のバイパスだったり市街地だったり、普段仕事でクルマで走っている道を、まあ5kmから10kmかな、これが大層気持ちいい。
仕事帰りなんで大概疲れているし、6V電装のイエローヘッドライトは暗いから無理はしない。それでもクルマで走り慣れた道をベスパでトレースするようにゆっくりと走り直すのは妙に楽しい。
前にも書いたかな?盛岡という街のサイズもこのET-3には丁度いいし。気分転換にぶらっと一周その辺ビィーンと流すのには街の大きさとスクーターの動力性能がバッチリ噛み合っている。

 

海沿いの町からこの街に引っ越してきた時に手に入れたスクーターだから。あの頃は僕もまだ若かったし運転も今よりもずっと上手かった。その頃に身体が覚えた操作方法はすっかり染み付いている。

雨の日も風の日も、冬はスパイクタイヤを履かせて雪が降ってもこのスクーターに乗ってた(これは貴重な当時の画像)。だから、加速もブレーキングも、シフトダウンもコーナーリングも今でも本当に自然に操作出来る。歩くのと変わらない位。

 

そんな風に毎晩気持ち良くベスパに乗ってたら、20代の頃に大好きだったバンドの曲を思い出した。
フィッシュマンズ。もう20年近く前に正規の活動を休止したグループだから流石に若い人は知らないだろうけど、僕と歳が近い音楽好きの人はもしかしたら名前くらいは聞いたことあるかも知れない。

久しぶりに聴いたけど、今聴いても全然古くないね。というか、今このテンションとクオリティで作品作ってるミュージシャンって日本にどの位いるんだ?
当時組んでたバンドのヴォーカルの奴がこのバンドの事えらく好いててね、その影響で聴き始めたんだった。

 

Up & Down Up & Down Slow Fast
Up & Down ナイトクルージング

だれのせいでもなくて イカれちまった夜に
あの娘は運び屋だった 夜道の足音遠くから聞こえる

だれのためでもなくて 暮らしてきたはずなのに
大事な事もあるさ あー天からの贈り物

窓はあけておくんだ いい声聞こえそうさ

ナイトクルージング 作詞/作曲 佐藤伸治

 

この曲の歌詞なんてこれだけだからね。ヴォーカルの佐藤伸治さんが当時乗ってた、水色の初代ゴルフを運転してる時に出来た曲だってのはファンの間では有名な話だった。
窓開けてその辺流したら気持ち良かったよ、ってだけの気持ちをこれほどの曲にするって凄い。僕なんてここまでダラダラ書いてなお伝えられてる感じあまりしないからね。

 

活動休止後ざっと20年だってのはぱっと頭に浮かんだ。佐藤さんの訃報を見たのが、20年前に買ったばかりのパソコンで、繋いだばかりのインターネットでだったのをはっきりと覚えているからだ。
敢えて調べないで書くけど、正確には18年前かな、僕が28歳の時の春だったと思う。多感な時期に何度も繰り返し聴いていた大好きなバンドだったからその衝撃は大きく、そのニュースを見た僕は顔面蒼白、茫然自失。本当に我を忘れるくらいショックを受けた。

使い慣れないパソコンを今と比べ物にならないくらい遅いダイアルアップ接続でインターネットに繋ぎ、ようやく辿り着いた公式サイトの掲示板は驚きと悲しみの書き込みで溢れていた。
当時公式に発表されていた佐藤さんの死因は風邪?インフルエンザ?をこじらせて、という事だったんだけど、多くの人が疑問に思っていたようで、それについての書き込みも多かった。
今はそれこそインターネットで調べれば真相らしきものにたどり着けるのかな、僕は当時東京でミュージシャンをしていた知人から早い時期に聞いていたんだけど。聞いた時は心穏やかではいられなかったのを覚えている。
佐藤さんはそんな残されたファンの心境を慮りながら逝ったのかも知れないね。

まだバンドが活動していた時、現役のファンだった頃はこの曲が一番好きだった。PVもYouTubeで観られるんだけど、このライブ映像がものすごく良かったのでこちらを貼り付けます。今観ても凄いな、なんなんだこのふわふわと尖った緊張感は。
赤いエレクトリック・ビオラを弾いている金髪の女性はHONZIさんだね(彼女も故人)。 凛とした佇まいが素敵な方だった。
何度か聴いて気が付いたけど、これ、ライブ盤「8月の現状」の演奏の映像だよね?知らなかったけど撮ってたんだね。だとすればこの演奏の一曲前は「それはただの気分さ」なんだよな。
この盤のこの2曲の繋がりが好きでね、本当に何度も繰り返して聴いたっけ。
もう今はこんな切ない恋心なんて忘れてしまったけどね。

 

あの頃からもう20年近く経つんだな、と考えると、随分遠くまで来ちゃったなあ、と思う。

 

 

 

 

 

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